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広子さんの恋人

 例えるなら広子さんは、一人でこつこつと調査を積み重ねていく、ひたむきで無口な女探偵のようだった。いつ見ても一生懸命仕事に取り組んでいたし、誰に対しても平等で謙虚で、かといって無愛想というわけではなく、仕事中に目が合うと、必ずさらりと微笑んでくれる人だった。

 そして広子さんは、驚くほど派手な髪型をしていた。何度も脱色したような赤茶けたバービー風の爆発頭には、ところどころに白髪なのか金髪なのかわからない出所不明の雑草のようなメッシュがあって、さらに、五十歳をとうに超えているらしいのに、服装は、完璧なパンクだった。

 いや、パンクというのは正しい表現ではないかもしれない。それどころか全く間違っている可能性だってある。なぜならば、よくよく見ると広子さんの服装は、普通のジーンズと洗いざらしのシャツだったり、細身のコットンパンツにクタっとした長袖のTシャツだったりといった、その辺のスーパーに無尽蔵にいそうなオバサン(というよりオニイサン)の格好だったからである。

 それなのに私の目には、なぜだか完璧なパンクと映った。広子さんが仕事中にかける度の強い大きな黒縁の老眼鏡や、いい具合にくたびれたキャンバス製の大きな買い物袋など、広子さんがひと度身につけると、そのありふれた物たちは、片端からパンクなアイテムに変換されていくように思えた。
 ひょっとすると髪型だって、白髪と脱色ととれかけのパーマが組み合わさった、ただ美容室に行くのが面倒なだけの無造作ヘアーなのかもしれないけれど、最高に格好良かった。
 
 数年前、私が勤めていた出版社で、広子さんはフリーのデザイナーとして仕事をしていた。顔を合わせるのは週に一度くらい。直接に仕事をする部署ではなかったので、目で挨拶を交わし、なんとなく気持ちのいい一瞬を共有するくらいの知り合いだった。

 広子さんが広子さんという名であることを知ったのは、まだ広子さんと会話をする以前のことで、アルバイトの女の子が、広子さんって面白いですよ、と教えてくれたときだった。

 女の子は、広子さんになついているようで、時々一緒に帰ったり、ご飯を食べに行ったりしていると言っていた。いつだったか私の話題が出て、女の子が、痩せている私が羨ましいと言ったところ、広子さんが静かに、痩せているのは太れない理由があるからですよ、と言ったという。その話をし終えたちょっと太めの女の子が、太れない理由ってなんですかー? としつこく聞いてきたので、私は、遺伝、と答えて仕事に戻った記憶がある。

 それからまたしばらくして、女の子が、広子さんとバッタリ電車で遭ったという話を聞かせてくれた。

 その日たまたま誕生日だった女の子が、恋人と待ち合わせている駅へと向かっていた電車に、買い物帰りの広子さんが偶然乗ってきたらしい。広子さんは、街で見かけた流行りのチュニックを、中学生の姪にと思って買っていたらしいのだが、紙袋からはみ出た赤い布地をちらちら見てしまっていたという女の子が、今日私の誕生日なんですう、といったところ、広子さんは、何の躊躇もなくその赤いチュニックをくれたのだという。女の子は、一応遠慮したらしいのだが、その色をとても気に入ってしまっていて、結局喜んでもらってしまった。広子さんっていい人だねえ、と私が言うと、女の子は何の悪気もなく、人良すぎですよーっと笑っていた。

 その辺りからだと思う。徐々に会話を交わすようになったのは。姪御さんにあげる服を取られたらしいですね、とか、ロックが好きなんですか、とか、広子さんに対する私の好奇心が徐々に表に現われてきた。

 広子さんは、私より十五歳年上だと判明したあとでも私に敬語で話をした。それは、社員とフリーという立場とかそんなことでは全然なくて、多分、生き方とかそんな問題なのだと思う。私と広子さんは、身の上話をするでもなく、人の噂話をするでもなく、まるで随分年を取った人たちが交わすような、天気や、暮らしの知恵なんかについて時々話をした。

 そんなある日、私は、突然決まった翌日の取材の準備に追われ、すぐ横の長机で仕事をしていた広子さんとのいつもの気持ちのいい目礼のタイミングを逃したまま、バタバタと遅くまで仕事をしていた。
 
 取材先は、見事に全く名前だけしか知らない街だったので、拡大して印刷した地図に集中し、最寄り駅からの道順を必死に調べていたところ、仕事を終えて帰るところだった広子さんが、焦る私の傍らに、風のようにすぅーっとやってきた。

 そして、さりげなく地図を覗きこみ、ああ、やっぱり、と穏やかに笑いながら、これは私の家のすぐ近くですよと言って、速やかに地図を手元に引き寄せ、私の取材先までの道順を、黄色のマーカーでわかりやすくなぞってくれた。
 
 私は一気にホッとした。私の深い呼吸を聞いた広子さんは、それから、ついでにここが私の家ですと言って、赤いマーカーでちょんと地図に印をつけてくれたので、あ、じゃあ明日、帰りに伺ってもいいですか、と、思わず私は言ってしまった。

 言ってしまってから、ああ、そんなに親しい間柄でもないのに厚かましかったかな、でもきっと社交辞令として受け流してくれるかなと思ったら案の定、えっ、すごく散らかっているので……と、そこまで聞いたときにやっぱりそうだよなあと思ったのだけれど、その先は、ゆっくりきて下さいね、だった。

 すごく散らかっているのでゆっくりきて下さいね。
 
 私は時々広子さんの発する言葉に聞き惚れてしまうことがある。例えそれがおかしな日本語だったとしても、広子さんの発する言葉は全くもって美しかった。

 そして翌日、取材の日。
 
 手慣れた取材をさっさと済ませた私は、なんとなくうきうきして、しばらく悩んだ挙げ句、焼き鳥四本と缶ビールを四本買って、広子さんの家へ向かった。

 広子さんが赤い印をつけてくれた地点には、古い木造の一軒家があった。家の中心部に玄関が二つ、異常な近さで並んでいる。二つの細長い玄関ドアには、それぞれ別の表札がかかっていて、広子さんの部屋はどうやら右側のようだった。呼び鈴を押すと、なぜか、トントントンと階段を降りてくる音が間近に聞こえ、ハイ、どうぞ、と開いたドアからまず見えたのは、広子さんの背後に迫る急な傾斜の階段と、茶色い靴下を履いた広子さんの足だった。

(階段? 足?)

 広子さんは、階段の三段目から、かがんでドアを開けてくれていた。そして私のびっくり顔に気づき、皆さん驚くんですよと言いながら、申し訳なさそうに私を階段へと招き入れてくれた。広子さんが恐縮する必要は全くないのだけれど、このドアは、階段への入り口だった。広子さんの部屋は、右側ではなく二階側だったのだ。

 すみませんが靴を脱いで下さいね、と言われたので、階段を上がる前に靴を脱ぎ、すみませんが持って上がって下さいね、と言われたので、靴を手に持って階段を上がった。上がりきったところで、片手に靴を持ったまま固まっている私を見て、広子さんが笑った。
 
 靴はそっちでビールはこっちです。
 
 そっちには、手作り風の小さな靴置き場があり、こっちには、きちんと片付いた古いタイプのキッチンがあった。面白い家だなあと思っていると、変な家でしょう、と広子さんが言った。そして私の手土産を受け取り、少しぬるくなったビールを冷蔵庫に入れ、奥からうんと冷えたビールを出してきてくれた。

 それから私たちは、キッチンの隣りの、やさしい風合いの畳の部屋でビールを開けた。そして、とりあえずお疲れ様と乾杯したのはいいけれど、実はまだ午後の四時過ぎで、急に私は自分が広子さんの仕事を邪魔しているのではないかと気になってきた。

 そこで、あのう、広子さん、お仕事は? と恐る恐る聞いてみると、広子さんは、くくくと笑って、あのう、お仕事は? と可笑しそうに聞き返してくれたので、二人して大笑いした。それでなんだか気持ちが楽になったので、私は広子さんの部屋をゆっくりと見回した。

 広子さんの部屋は、紙と木と土で出来ていた。障子と畳と小さなタイル。よく磨かれた板張りの床、不自然な位置にありながらも部屋に馴染んでいる小さなお風呂やトイレ、素敵な絵柄の入った、今ではもうあまり見かけることのない磨りガラスの窓。たくさんの家族の思い出が、いい具合に染みついているような部屋だった。

 広子さんのアパートは、元々はやっぱり一軒家だったらしい。一階と二階を見事に分断して二軒家にしてしまった大家さんだか不動産屋さんだかの手腕に驚いた。

 いい部屋ですね、と言うと、ありがとうございます、と広子さんは言った。広子さんも気に入っている感じだった。遠くの商店街の喧騒が、ぼんやりと聞こえてくる。

 この部屋に住んでどれくらいですか、と聞くと、八年……、そう、もう八年になりますねえと、感慨深げに広子さんは言った。

 全然散らかっていないんですけど、と問うと、すっと押し入れを指さして、あの中です、と笑った。

 私たちは、お互いの仕事の話を少しして、ビールを飲んで、焼き鳥を食べた。私たちには話すことがたくさんあるような気がするのだけれど、不思議なことに、何も話さなくても分かり合えるような気配もあった。
 
 そんな気配の中で、突然、広子さんが言った。

 私、もしかしたら失恋したかもしれないんですよ。
 
 え?
 
 大切な恋をね、失ってしまったのかもしれないんです。
 
 (ひ、広子さんが、し、失恋?)

 私はグビリとビールを喉に流し込んだ。

 失礼なことに私は、広子さんの恋にしばらくピントが合わなくて戸惑ってしまった。言い訳をするならば、当たり障りのない会話ばかりしていた私たちにとって、初めての、当たり障る会話だったからかもしれない。それと、自分のことで精一杯だったせいも多分にある。
 
 意外ですよねえ、やっぱり。
 
 広子さんは、諦めたように言った。
 
 いえ、意外だけど、意外ではないです。本当です。うまく言えないんですけど、なんというか、一呼吸目は意外なんですけど、二呼吸目は意外じゃないというか……、エッとびっくりして、アッと納得するというか……。
 
 私の真剣な弁明に、広子さんが声を出して笑ったので、私はちょっとホッとした。
 
 そして、
 
 写真、見ますか? と、広子さんが言った。
 
 見ます見ます見ます! 
 
 私は、犬のように飛びついた。
 
 広子さんは、いろんなものが入っているという押し入れの中から、まず大きな一眼レフのカメラを取り出し、次にその奥から、ケーキサイズのシンプルな箱を取り出した。箱は、薄い茶色のシルクで丁寧にコーティングされていて、広子さんが蓋をそっと開けると、微かな衣擦れの音がした。

 そして、一瞬銀色に見えた箱の中には、それはそれはもうたくさんの写真が入っていて、そのどれもが全て、白黒写真だった。広子さんはドサッと無造作に、それでいて大切そうに、モノクロームの世界を畳の上に広げてくれた。私はそれを、一枚ずつ手に取った。

 うわっ、かっこいい!

 そうなんですよ。

 わ、若い!

 そうなんですよねえ。

 なんてきれいな顔!

 そうでしょう、困りますよねえ。

 広子さんの恋人は、歌舞伎俳優のように美しかった。さらに、たくましくてしなやかそうな身体をしていた。そして、十九歳年下なのだと教えてくれた。

 こんな、モデルみたいな男の子とどこで知り合ったんですか?

 私はすっかり舞い上がってしまって、きっとパパラッチみたいな顔になっていたと思う。広子さんは、そんな私に呆れもせず、笑って答えてくれた。

 ここです。

 ここって?

 この部屋で。

 え、どうやって?

 エアコンのね、取り付けにきたんですよ。

 え、えあこん?

 広子さんは、その写真を撮るのに使ったという重そうなカメラを無意識に触りながら、その出会いの顛末を話してくれた。

 八年前のある夏の日、美しい二十六歳の男の子が、広子さんの部屋にやってきた。彼は、引っ越したばかりの広子さんが引っ越し業者に頼んでいた、エアコン取り付け工事の人だった。

 なんてきれいな男の子なんだろう、彼に目を奪われた広子さんは、エアコンが取り付けられるまでの約三十分の間に、すっかり心も奪われてしまった。取り付け作業が終わり冷風が吹き出すのを確認してサインしたあと、四十五年間の人生で一番の勇気を奮い起こしたという広子さんは、あの、よかったらまた逢ってもらえないでしょうか、と言った。

 は? 

 男の子はびっくりして静止してしまった。しばしの沈黙。

 いえ、今のは忘れてください。

 広子さんはキッパリと言った。また沈黙。

 明日の夕方、また伺います。

 男の子が言った。今度は広子さんが静止。

 あ、明日ですね、我に返った広子さんは、ハ、ハイ、お待ちしています、と答えた。

 なんと、広子さんの恋はそうして始まったのだ。

 次の日に男の子がやってきた瞬間を思うと、私は今でもドキドキして眠れなくなる。やってくる前の日の夜は、きっと広子さんも眠れなかったはずだ。この恋の始まりを思うとき、どんな映画よりも素敵なシーンが、私の心のスクリーンに映し出される。

 そして私には、男の子が、初対面の、うんと年上の、突然の広子さんの申し出を受けた理由が、なんとなくわかるような気がする。男の子は、広子さんの真ん中に流れているものに、きっと直感的に惹かれたのだ。

 だけどその恋は、俗にいう一般的な恋ではなかった。なぜなら広子さんとその男の子は、八年間で十五回しか逢っていなくて(それも全部広子さんの家で逢っている)、さらに驚くことに広子さんは、男の子の名前を未だに知らないという。そんな恋があることを今まで知らなかった私は、ますます前のめりになって聞いた。

 な、名前も知らないって、そんなことあり得るんですか?

 あり得ていたんですよ。

 は、八年間でしょう?

 ええ、でも、彼の子供の名前は知っていますよ。

 ええっ? 子供っ?

 私の反応に、ちょっと得意気になった広子さんの様子を見て、私は、これ以上何を聞いても驚かない自信が出来た。
 彼は、二十六歳からの八年間に、普通に結婚して普通に家族を築いているらしい。って、でもそんな……。

 私が急に浮かない顔になったのを見て、広子さんはちょっと慌てた。そして、安心させるようにこう言った。

 私には、これがありますから。

 広子さんの細い指が、白黒写真の山をさした。

 確かに、確かに、写真はいっぱいある。どれもこれもよく撮れていて、広子さんのセンスと愛情にあふれている。
 私は、気持ちを少し落ち着かせるために、時間をかけてゆっくりと、もう一度写真を眺め直した。

 本当に素敵な男の子だ。こうやって写真を眺めていると、雑誌に掲載するグラビア写真を選んでいるような気分になってくる。

 たくさんの写真の中で、一番多く撮られているのは、男の子の無邪気な寝顔で、次が、破顔(これは、彼が大人になっていく微妙な変化が見られて面白かった)。そして残りのほとんどは、手だけが映っている写真だった。

 これまで見たこともないような手の写真には、様々なアングルで撮られたものがあった。二つの大きな手のひらが、占い師を待つように並んでいるだけのものや、煙草をくゆらす男の子の気取った右手、広子さんの本を戯れに掴んでいるおどけた左手や、広子さんをくすぐろうと構えている楽しそうな両手、そして、たくましい裸の胸に、広子さんの華奢な手がそっと置かれただけの、静かな写真もあった。

 中でも一番私の目を釘付けにしたのは、大きさの違う二本の腕が映っている写真だった。大きな腕と小さな腕が、さりげなく組まれていたり寄り添っていたり、ぎゅっと掌を握り合っていたり指を絡めていたり、なんとも官能的な写真が幾枚もある。広子さんの手は、細くて脆そうで、そのどれもがとても美しかった。

 私は、あまりにも写真に集中してしまった自分が恥ずかしくなって、広げてしまった写真を片付けるのに夢中なふりをしながら、視線を外して広子さんに質問をした。

 あのう、失恋したって、彼とはもう逢わないってことですか?

 はい。もう、逢えないのかもしれません。

 かもしれませんって、かもしれなくないってことはないんですか?

 私の変な日本語に、ふっと広子さんは笑った。

 多分、彼はもう来ないような気がします。

 広子さんは、空になったビールの缶を、木の窓枠にそっと置いた。そして、すっと背筋を伸ばして、恋の続きを話してくれた。

 広子さんと男の子の逢い引きは、とても変わっていた。最初に(厳密にいうと二回目に)、男の子が広子さんの部屋を訪れてから、次に男の子がやってきたのは半年後のことだった。最初に(本当の意味での最初に)、エアコンを取り付けにきたのが八月二十五日。これは偶然にも男の子の誕生日で、そのちょうど半年後の二月二十五日が広子さんの誕生日だった。

 広子さんも男の子も最初は一度だけのつもりだった。だけど、お互いの誕生日が一年をきれいに二つに分けていることを知った男の子が、冗談半分に、じゃあ次はあなたの誕生日にきますと言って帰ってから、広子さんは半信半疑で半年間待った。ちっとも辛くなかったという。むしろドキドキして毎日が楽しかったとも。

 そして冬の誕生日、男の子はやってきた。四十六年間生きてきて一番の奇跡だと広子さんは思った。二番目の奇跡は、半年後の夏の誕生日の翌日にやってきた。そして、八年間に十五回の奇跡が訪れた。電話番号も知らない。名前も知らない。ただ、一年に二度、逢える。誰も、この恋のことは知らなかった。

 だけど今年の夏の誕生日、広子さんは神様からのプレゼントを受け取ることが出来なかった。なぜならその日は、広子さんのお母さんの手術の日だったからだ。お母さんには娘が三人いたけれど、唯一独身で自由業の広子さんが、付き添いをしなければならなかった。最も、既婚で会社員だったとしても、広子さんはお母さんに付き添ったはずだ。

 結局、その年の夏の誕生日のプレゼントは、お母さんの手術の成功に取り替わった。もらえなかったもうひとつのプレゼントが、その日、広子さんの部屋の前で何時間も待ち続けていたことを知ったのは、お母さんが退院し、久しぶりにアパートに戻った日の夜だったという。普段、全く交渉のない下の階の住人が、わざわざ教えにきてくれた。お留守にされてたようですけど、二週間程前に、若い男の子が三時間程ドアの前で待ってらっしゃいましたよと。

 あの日は、すごく暑かったかもしれない。一言、張り紙でもしていたらよかったのかもしれない。三時間も待っていてくれたなんて……。広子さんは、五十三年の人生で一番の胸の痛みを感じた。それから三ケ月、広子さんの胸の痛みは慢性化した。

 恋って、どれくらいで忘れられるものなんでしょうか。

 広子さんが私に聞いた。

 えっと……、よくわかりませんが、完全に忘れるには、恋をしていた時間の二倍の時間がかかると何かで読んだことがありますけど……。

 じゃあ、十六年……。

 広子さんの、もう逢えないかもしれない恋は、いつの間にか、もう逢えない恋に変わっていた。秘密の恋は、人に話した瞬間に終わるのだろうか。

 私には、広子さんがこの恋を忘れることなんか絶対に出来ないことがわかっていたけれど、黙ってビールを飲み続けるしかなかった。

 もう一本、ビールを飲みませんか?

 そう言って広子さんはキッチンに立った。そして、あ、そうだ、おいしい お漬け物があるんですよと言って、冷蔵庫からタッパーを取り出し、小さなまな板で、トントントンと大根の漬け物を切ってくれた。

 あ、そうだった、と私は思い出した。左手で軽々と漬け物を切る広子さんを見て、広子さんが左利きだったことを思い出したのだ。以前、仕事中の広子さんの所作が格好よく見えるのは、なぜか左利きの人に憧れてしまう私の贔屓目だろうかと考えたことがあった。その時は曖昧なまま流してしまった思考だったけれど、今ははっきりとわかる。広子さんが格好いいのは、決して左利きのせいではない。

 私は、漬け物をぽりぽりとかじったあと、きれいに手を洗って、最後にもう一度、色鮮やかな白黒写真に見入った。そして、気がついた。

 写真に映っている広子さんの手は、全部左手だったのだ。左利きなのに広子さんは、あんなに重いカメラを右手だけで抱え、詩のような写真を撮ったのだ。部屋の隅にぽつんと置かれた一眼レフのカメラが、急に視界に飛び込んできた。広子さんはビールを飲みながら、夕景の空を眺めている。

 素敵なカメラですね。

 私がそう言うと、広子さんは室内に向き直り、目を細めてカメラを見た。そして、古いものなんですよと言って、カメラを私に渡してくれた。
 カメラは、ずっしりと、想像よりもはるかに重たかった。軽さばかりを売り物にする昨今のカメラとは訳が違うのだ。

 これくらい重い方がブレなくていいですよね、と私が言うと、ええ、でも、持ち歩くには不便ですよ、と広子さんが言った。そして、あんまり持ち歩きませんけどね、と笑った。

 あの日、広子さんの部屋からの帰り道、街中の灯りが全て、ぼんやりと滲んで光っていたことを覚えている。

 あれから広子さんは仕事を辞め、お母さんの看病のため、アパートを引き払って実家へ戻った。ほどなく私も会社を辞めて、フリーとなった。もうきっと、広子さんに会うことはないだろう。

 しかし何の因果か私には、街で電気工事人を見かけると、ふと顔を覗き込んでしまう癖が出来てしまった。関係ないくせに私は、未だに広子さんの恋人を探している。


#創作大賞2022

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