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のび太とアニマル惑星を考察。ニムゲ総長がイケメンな真の理由

どうも、ドラえもん映画ナビの管理人ミクジンです。

『のび太とアニマル惑星(プラネット)』、かわいい動物たちが出てきて楽しい映画ですよね。わたしは歴代ドラえもん映画でもトップクラスに好きです。

反面、ストーリーに濃密な部分があって、一度の視聴ではすんなり理解できないポイントもあったりします。

そこで、私自身が観ていて感じた疑問や、ひっかかったポイントを時系列順で考察してみたいと思います。

根拠のない空想も混じっていますが、興味があればお読みください。

考察1 ドラえもんがいつ動物たちを撮影したか?

序盤、イカダで流されるチッポをドラえもんたちが助けた翌日に、動物たちの写真を眺めるシーンがあります。

おそらく前日に隠し撮りしたらしい動物たちの写真を見て、その5本指の手や、2足歩行ぶりについて疑問を呈するシーンです。

あの写真はどうやって撮影したのか?

最初に観たときからの疑問だったのですが、原作のコミックス(p38)に答えが書いてありました。

ドラえもんの鈴は小型カメラになっていて、それで撮影したのだそうです。

あの鈴は、カメラ機能を持たせる前は「猫集め鈴」だったそうで。パーツ交換してカメラ機能を持たせた旨が書いてあります。

この疑問の答えは、映画版では触れられることはありません。気になっていた方もおられるのではないでしょうか?

考察2 結局、「大ごもりの晩」とは何だったのか?

大ごもりの晩とは、アニマル星の世界で大みそか〜お正月までを過ごすときの伝統的な過ごし方、行事のことです。

なんでも、その晩は元日が訪れる0時まで、家にこもって誰とも口を聞かないのだとか。

なぜそんな習慣になったかの答えは、チッポが話してくれる「国のはじめの物語」の中にあります。

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大昔、チッポ達の先祖はニムゲ達が住む現在の地獄星に住んでいた。地獄星は昔から悪魔(ニムゲ。つまりニンゲン)が動物たちを支配する星だった。

それをかわいそうだと思った神様(科学者)は、のび太が乗ったあの星の舟で、連星であるお隣のアニマル惑星にやってきて、動物が住める環境を整えた。そして、ここに動物達を移住させてあげようと考える。

そこで科学者は、動物たちには眠りを防ぐ「お守り」を渡して、ニムゲを「眠りの笛」で眠らせた。その隙に、『どこでもガス』を使って動物たちを移住させることに成功した──。

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これが「国のはじめの物語」です。

つまり、0時までは喋ってはならないのは、眠っているニムゲを起こさないためです。
玄関の前に昔から伝わっているしるしを作って置くのは、眠りの笛から身を守るためです。
長い階段(原作ではエスカレーター)を登って神殿に向かうのは、列をなして『どこでもガス』を通った祖先を模した行為です。

大ごもりの晩とは、年に一度、祖先がなしとげたニムゲからの解放を追体験する行事なんですね。

それだけめでたい行為だからこそ、正月に行っていると考えられます。

ちなみに、大昔の神話という体で話されていますが、その大昔の方が地獄星には遥かに高い文明があったと本作では語られています。

つまり、すべてが実話で、動物愛護派の科学者が成し遂げた一種のクーデターのようなものだったかもしれません。

眠りの笛とお守りも、どこでもガスのように22世紀の地球上にも存在するような道具だった可能性が高いですね。

ちなみに、それっぽい道具が過去のドラえもんのお話で出てこなかったかザッと調べたのですが、該当しそうなものはありませんでした。。。

ちなみに、お守りの形状はAに中に◯が書かれているようなものですが、これはエーニマル→アニマルのダジャレだという説が濃厚です。

考察3 ジャイアンがチッポの部屋で見たものとは?

チッポが、禁断の森に行く計画を話しているとき、ジャイアンが窓の外に何かを見たといって騒ぐシーンがあります。

これはジャイアンがニムゲを見た説が濃厚です。

それを裏打ちするシーンは2つ。

1つはジャイアンとスネ夫がピンクのモヤの中にみたニムゲっぽい人影。
もう1つは、5人が一度地球に戻ってきた直後に入るニムゲのナレーションです。
「おれはたしかにこの目で見てきた。隣の星には動物だけがうようよ住んでいる」
という内容。
この2つのシーンを結びつけて、最初の攻撃前の偵察者をジャイアンが見たと考えるのが自然だと思います。

考察4 なぜニムゲのイケメン総長のシーンが心に響くのか?

連邦警察がニムゲを連行する際に、ニムゲの若き総長が、マスクを脱がせてもらって深呼吸するシーンがあります。このシーンはなぜかとても印象的で、本作でも心に残るシーンの1つになっています。
そこで、なぜこのシーンが心に響くのかを考えてみました。

端的にいうと、あのシーンがあることで、ニムゲ=絶対悪という構図が崩れ落ちるからだと思います。

本作で、ニムゲは基本的に悪として描かれています。
でも視聴者は、ニムゲも被害者だということを、意識の水面下ではわかっています。

なぜなら、地獄星を作ったのはニムゲの先祖であって、ニムゲが好んで環境破壊したわけではありません。育った環境が悪くてグレてしまった青年への憐れみのような、そんな感情があるはずなんです。

でも、あくまでそれは設定であって、ニムゲがどれだけ苦労したかという具体的なシーンは描かれません。逆に、美しいアニマル惑星を破壊し、森を焼き払うようなシーンの連続ですから、終盤になればなるほど「ニムゲ=憎むべき敵」という図式は強くなります。

そこで、最後に総長がマスクを脱ぎ、予想外に爽やかなイメージの青年だったことがわかります。
「素晴らしい空気だ」
深呼吸してそう呟く青年の表情は、憎しみや悔しさを微塵も感じさせず、晴れがましいものです。

このシーンによって、青年に潜む純粋さが視聴者の心に届けられるわけですね。
やり方は野蛮なものの、ただ美しい星に憧れて、彼らなりの正義で突っ走っただけだったのかと。

つまり、あのシーンがあることによって、単純な勧善懲悪の物語ではなく、登場人物に絶対悪がいないことに起因する不思議な後味の良さ、深みを感じるんですね。

そして、その後味の良さが、まるで撮影用の照明を当てているかのように、ニムゲ総長が異様なまでにイケメンに見える理由にもなっていると感じます。

ちなみに、このシーンは原作のコミックスにはありません。

考察5 連邦警察リーダーの涙

考察4と関連しますが、連邦警察のリーダーが引き上げる前に、動物達に謝罪し、涙するシーンがあります。
最初、この涙に違和感があったのですが、ニムゲ総長のシーンと合わせて考えると納得がいきました。

連邦警察は外部の機関ではなく、地獄星に暮らす人々で構成される、地獄星の公的な機関です。

つまり、連邦警察もニムゲ同様に先祖の悪しき行為によって、苦労を強いられてきたわけですから、過激派であるニムゲの気持ちも理解できるはずなんですよね。それを許すことはできないものの。

連邦警察リーダーの涙は「自分達の兄弟がバカなマネをして申し訳ない。でも根は純粋な奴だから今度ばかりは許してやってほしい」という身内への熱い想いが裏にあるがゆえの涙なんですね。

これだけ熱い人がいる=地獄星にもまともに文明再建を願って活動する人々が実はたくさんいる。

つまり、今後の地獄星の発展が示唆されているシーンとも読めると思います。

ちなみに、原作のコミックスでは涙を流してはおらず、もっとサラッとしています。
したがって、ニムゲ総長のシーンとセットで考えられて追加されたのだと思います。

最後に

『のび太とアニマル惑星(プラネット)』は環境問題を糾弾する社会派作品として知られています。

その社会派作品を描くテーマを動物に選んだことで、環境破壊に走る人間を対比によりうまく浮かび上がらせていると感じました。

また、これは勝手な想像ですが、幼い子どもが好む動物たちをテーマにすることで、一番メッセージを伝えたい相手をしっかり作品世界に呼びこむ意図を藤子先生は持っていたのかもしれない、とも感じました。

さらに、神話やニムゲたちの描き方がSFとして空想する余地が残されているために、奥行きがあって飽きない仕上がりになっています。

今後、もっと『のび太とアニマル惑星』ファンが増えることを願って、この辺で考察を終わります。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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