人生をかけてやりたいこと

僕は子供の頃からパイロットを目指していました。

きっかけは「将来、何がしたいの?」という父のささいな質問で、理由は「楽しそうだから」くらいのものでした。


高校に入った時、将来の夢について1度真剣に考えました。その時思ったのは『死ぬ最後の瞬間に何の後悔もせずに死にたい』でした。

だって世界中には素晴らしい絶景や世界遺産、天才たちの残した芸術や音楽、まだ食べたことがない美味しいものがたくさん溢れているのに、経験せずに死ぬのはつまらないでしょう。

だからキャビアひとつ取ってみても、『そういえばキャビア食べたことなかったな』って言うくらいなら、『食べてみたけどあんまり好きじゃないな』って言って死にたいんです。

そのためにはお金も必要だし、たくさん外国にも行くためにもやっぱりパイロットが一番だと思いました。



そして僕は大学生になりました。
パイロットになる為には2年間訓練してライセンスを取らないといけません。
そのため僕は大学3年の時、航空大学校という所を受験しました。

航空大学校は受験者の約1200人中、108人受かるんですが、1次の筆記試験の結果はめちゃくちゃ良く、2次の身体検査はオールSでした。でも最終試験でフライトシュミレーターの飛行コースを間違えていたためその年は不合格となりました。

ただこの時にパイロットという仕事が、手の届かない憧れから、自分にもなれる選択肢に変わった気がします。そして同時に『本当に自分の人生をパイロットに費やしたいのか』という気持ちになりました。



季節は大学4年の春になり、僕は当然の流れで今年も航空大の受験を申し込んでいました。

そんな中でメジャーバンドを夢見ていた親友が「大学の間には芽が出ず、タクシードライバーに就職した」という話を聞きました。
また、その日の夜のテレビではある芸人さんが、「実は高校に野球推薦で行きたかったけど、実家が貧乏だったから高校には行かず土木で働き出した」という話を聞きました。

それを聞いた時に「自分はある程度育った環境が良かったからパイロットを目指せるけど、こんな社会間違ってるんじゃないのか?」「スポーツや音楽や芸術みたいなものこそ人間味があって素晴らしい分野なのに、お金がないから夢を諦める人がいるなんて間違ってるんじゃないか?」と思い始めました。



そんな時、高校の時の夢を思い出しました。

『この人生は何も後悔せずに死にたい』

このままパイロットになっても多分死ぬ時に、「本当は自分だけじゃなくて全ての人がやりたいことをやれる世の中が見たかったんだよな」と後悔するし、
そもそも僕は他の受験生みたいに飛行機自体が好きなんじゃなくて、色んな国に行って素晴らしいものを体験できるんなら別にパイロットじゃなくても良いんじゃないか、と思い始めました。

そしてその日は、「どうすれば全ての人が生きがいのある世の中を作れるんだろう」と一日中考えました。



そして僕が出した結論は『アイデアや知識を世界中から集め世界を加速させること』です。

第二次世界大戦中に遠くの人と連絡を取るため、多くの人のアイデアや知識が集まって今のインターネットが発展しました。これが本当かどうかは分からないけど、「多くの人のアイデアと知識」が集まればその分野は確実に加速することは確かです。

また、生活のために必要な衣食住をテクノロジーによってまかなうことで、生きるためにやりたくない仕事をしている人をゼロにし、全員が生きがいのある世の中を作りたいんです。

『アイデアと知識を世界中から集め、テクノロジーを発展させ、そして衣食住が無料の世の中を作りたい』それがもうひとつの夢になりました。

そんなの絵空事だろ理想論だろ、と言う人もいますが、想像できることに実現出来ないものなんてないと思います。
200年前の江戸時代の人達に、今の電話や飛行機やインターネットを説明しても同じことを言われるでしょう。

でも実際に地球の裏側の人と話すことは可能だし、空を運転することだって可能です。
だからこそアイデアと多くの思いが集まればどんな世の中にだってできるし、無謀な理想論くらいが丁度いいんだと思います。



そんなことを考えていた僕はより具体的なアドバイスを貰うため、SoftBankグルーブの孫正義さんに会おうと思いました。

ただ孫さんはTwitterのDMを開いてないのと、SoftBankの本社に電話しても全く相手にされなかったので、長崎から飛行機に乗って直接本社に会いに行きました。

アポなしの大学生が突然来て『僕は世界のリーダーになる男です。孫正義さんに合わせて下さい』はめちゃくちゃ迷惑だったと思います。当然6人の受付嬢の方々も唖然としていました。
ただ僕にはそうする以外、夢を形にする方法が見つかりませんでした。

ただ受付嬢の方は岩井さんという受付のマネージャーのような方を呼んでくれ、必死に説明するとその方は吉田さんという総務の方を呼んでくれました。

そしてその吉田さんは『君の熱量は伝わったが、そもそもアポイントがないと絶対に会わせるわけには行かない。だからここに手紙を書いて送ってくれ。側近の方が読んで、会わせたいと思ったら本人の耳にも届くから』と言われ、手紙の送り先の住所を教えてくれました。



それからは長崎に帰ってそこに手紙を送り続けました。
ただ2週間待っても返信が全くなかったのでもう一度東京に1週間行くことにしました。

今度は『僕は世界のリーダーになる男です。長崎から孫正義さんに会いに来ました。少しでいいので話をさせて下さい。』と書いたスケッチブックを持って本社の入口に立ち続けました。

すると孫正義の側近を名乗る方々が降りてきて下さり『御厨君だね、手紙呼んだよ。』と言ってくれました。
ただ、『どんなに手紙をよこしても孫社長と君の1秒は価値は違いすぎるし、どんなに情熱があっても実績がなければ会わせないし、孫社長の耳にも入れない。二度と来ないでくれ。』と言われました。

でももちろん次の日も行きました。今度はその側近の方宛の手紙と一緒に必死に説明しましたが、その人の心は動きませんでした。
言われたのはただ一言『まずは実績を作れ』だけでした。




帰ってからは今はまだ世の中にないビジネスの仕組みやアイデアなどを100個考え、そしてTwitterで有名な経営者や社長、投資家など100人にDMを送りました。

中には投資したいから直接話をしようと言ってくれる方もいました。しかし、ほとんどの経営者の方が『すぐにビジネスを始めるんじゃなく、まずは小さなところから力を溜めて実績を作ることが大事』だと仰ってくれたので投資は受けませんでした。

その時航空大の試験は通過していましたが、航空大には辞退させて欲しいと連絡を入れました。家族や親戚には直接会って説得しました。

それから自分の影響力をつけるためにこのTwitterアカウントを作りました。また、自分の夢を周りの友人に話していたら、自分も力になりたいと言って2人の友人が内定を蹴って付いてきてくれました。
今年の9月にはその2人と従業員40名の方の力を借りて、株式会社を立ち上げるつもりです。




でも僕が本当にやりたいのは会社を立ち上げることでも、Twitterで影響力を付けることでも、お金を稼ぐことでもなく『全ての人が生きがいのある世の中にすること』です。
そのための手段として毎日色々と頑張っています。

このまま資本主義社会が加速し、貧富の差が開くのではなく、お金を持つ人がテクノロジーの発展や貧しい人たちの為にお金を使うような仕組みの社会にしたいんです。

多くの人がやりたくない仕事を生きていくお金の為に続けるのでは無く、ある程度の生活が保証され、自分の好きなことに一生懸命になれる世の中にしたいんです。

これから生まれる子供や孫たちの世代が、お金が無いのを理由に好きなことを諦めるような未来にはしたくないんです。


まだまだ僕の力は小さくてほとんど世の中は変わらないけれど、死ぬ瞬間まで僕は諦めません。だから皆さんもそれまで生き続けて下さい。これからどんどん社会は厳しくなりますが、もがき続けて生きていて下さい。

僕は必ず『全ての人が生きがいのある世の中』を作ってみせます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?