せめてフィクションの中では、救われますように。
救われることのなかった結末を迎えた、あのとき。
私は、親に半ば強制的に薦められた進学先について、未だに悔やんでいる。
自身の時間を無駄にしたのはもちろん、親の言いなりだった情けない自分自身への嫌悪感、親から心ない言葉を投げかけられたこと、学生生活に於ける人間関係でとても嫌な思いをしたからだ。
今まで、どう足掻いてもその出来事とその結末を昇華することはできなかった。
たった一年間のうちの経験を、私は今の今まで引きずっている。それは時に呪いとして、私を苦しめる。
しかしある日、自身のその体験を基にした創作(つまり、フィクション)の中で救われる結末を紡ぐことで呪いを解くことができるのでは、と思ったのだ。
過去を変えることはできない。しかし、「もしあの時、こうしていれば」ということを想定した創作は可能だ。
そういった物語を紡ぎ出すことで、自分自身の気持ちが楽になるかもしれない。
自分自身を救うのは、最終的には自分自身なのだろう。
そして、私と同じような気持ちの方々への励みになったら、光栄だ。
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