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いつかの私のための、ペアのティーカップのお話

私は百貨店の上の方のフロアにある、食器やインテリアのコーナーが大好きだ。和洋様々な高級食器や、工夫を凝らされた調理器具、枕や布団にパジャマなどなど、それらひっくるめて全部好きだ。母親がよく連れて行ってくれたからだろうか、私は今もそのコーナーを見に百貨店へ足を運ぶ。

ずいぶん前に大丸百貨店で購入した食器は、今も大切に使っている。海外ブランドも好きだが、ノリタケなどの日本の食器も、使いやすくてデザインが美しくてとても気に入っている。

その中にいくつか、ペアの食器があった。

マグカップ、小皿、お箸など、挙げると想像以上にあって驚くのだが、ペア(2つセット)で売っている食器は多く、私もいくつか購入していた。​

「いつか、結婚した時に使おう。」

本当に、純粋に、心からそう思っていた。

その時、「本当に結婚できるかな」という不安がなかった訳ではない。それでも、彼氏がいた時も、いなかった時も、私は気に入ったペアの食器を少しずつ買い集めていた。

もちろん彼氏がいる時はそれらの食器も普段使いしていた。いない時も、片方だけで使うこともあった。でも、「これだけは」と一番のお気に入りのソーサー付きティーカップは、使わずに箱にしまっていた。


結婚が、したかった。

いつか、頑張れば、頑張っていれば自分も結婚できるんじゃないか、と思っていた。

結婚したらこんなことしたい、こんな風に暮らしたい。仲の良い両親のもとで育った私は、大した疑問も持たず(もちろんモテないとか恋がうまくいかないとかそんな悩みはあったが)、ただ漠然と、「この食器を未来の旦那さんと使うのが楽しみだ」と思っていた。胸がざわつく時も、「先になるかもしれないけど、いつかきっとそんな日が来る」と自分に言い聞かせた。何度かの引越しでも、このお気に入りの食器は手放さず、箱のままダンボールに詰めて新居に運んだ。


今、私は独身だ。婚活も多少したが、うまくいかずそろそろ諦めようかというところだ。

独りで生きていくなら、物は少ない方が何かと楽だ。万が一の時にも処分が楽だと思った。「断捨離」という言葉が流行し、ミニマリストなんて人も出てきた世の流れに乗っかり、私も物を少しずつ捨てることにした。”もったいない”という気持ちが先行し苦戦中だが、以前よりはかなり服やバッグ、雑貨は減らせてきたなと思う。

ある日も片付けをしていて、食器棚に手をつけた。その時目に飛び込んできたのは、お気に入りの食器が入ったあの箱。

「ああ、あの時の私、こんなところにいたんだな」

その時の純粋な気持ち、願い、叶わなかった悲しさ、いろんな感情が出てきた。これを書いている今も情けないがちょっと泣きそうだ。

箱を出した。どうしようか、ちょっとためらった。

だけど、蓋も開けずに私はそれをリサイクルショップに持っていった。

いつまでも同じところにとどまれないのは、人の良いところであり寂しいところかもしれない。

とても美しいペアのソーサー付ティーカップ。花があしらわれた柄もとても気に入っていた。だけどそれを見ると、私は「結婚できなかった自分」「あの時の願いに応えられなかった私」を思い出してしまう。それが辛かった。

ただ実は、晴れ晴れしい思いもあった。今は昔よりは稼ぎがあって、一応は人様に名乗れる職に就いている。だから欲しいと思ったらまた買えばいい、と素直に思えるのである。このことは私の背中を強く推した。あの日の願いを手放すことは、失うだけじゃなくて、また新しい自分が、新しい願いを叶えてあげられればいい、と思えたから。

あの日の私とはもう、変わったし、変わってしまったし、変わりたいと思ったから。

さて、2019年、師走。今年の大掃除にそろそろ手をつけようと思う。


(おわりに。)Twitterで「いつか結婚したら使おうと思っていた引き出物の食器を売り払うことにした」という投稿を目にしました。その方のツイートは共感できるものが多くてよく拝見していましたが、その方のおかげでこの記事を書くことができました。本当にありがとうございます。

みくも


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