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シオミー・シューコとお狐さまの祟り[1]

[1]

「ステーキプレート、カリマリフリッター、シーザーサラダ、白身魚のマリネ、ベイクドポテト、食後は渋柿のガレットとジャスミンのシャーベット、うん、はい、決まり」

 大きなウィンドウガラスの外では都会人たちがキリキリと人波を作っていた。快晴にもかかわらず高層ビルに遮られて陽光の入ってこないレストランの奥、人の目を忍んだ二人席。よく効いた冷房と心地よい間接照明、さらりと手触りのよいオフホワイトのテーブルクロス、隣の席とは裕に三メートルは離れている清々しい快適さは流石は高級店としかいいようがなく、小一時間前までいた胡散臭い部屋とはまさに月とすっぽん。

 メニューの中身も調子よくゼロが三つ以上並んでいるものばかりだ。これが何でも奢りだというのだから、目の前の男のプロデューサーという仕事は大層儲かっているのだろう。読み上げられる品目が一つ増える毎に表情が曇っているようにも見えるが、気のせい気のせい。

 頭の中で算盤を弾くととりあえず今ので諭吉アンド一葉、いやー奢りって嬉しいね。近くにランチメニューでもお値段容赦無しのレストランがあってよかった、よかった。

「……そんなに食べられないだろ」

「は?食べるし。今日から増量する」

「……悪かったって……」

 まあまず食べきれない、食べきれないけどとりあえず並べて横から順番に頂くことにする。増量はしないけどイライラしてるときは暴食に限る。暴飲の選択肢はまだお国に預けられているので、格好は付かないが代わりにお冷で熱を持った息を飲み込む。初夏のじわりとした暑さと積もった苛立ちが、喉奥を下る冷たさに、一呼吸分だけ中和された。

「やー、あたし的にはさ、オフだし?二人きりだし?いきなりマンションに連れて行かれるし?うわこれまさかPさん甲斐性見せちゃうの、とか思ってたんだよね?」

 うん、マジでドキドキだった、いつになくPさんちょっと強引だったし。車から降りたらグッと手引いて、エレベーターの中でも手握ったままで、どこ行くのって聞いたらちょっと気まずそうに『シーッ』とか、勘違いするなって方が無理でしょ。

 マンションの部屋の前に緊張してヒヤヒヤしながら立つじゃん。

 この扉開けたら、うわ、マジかマジか、ついにPさんと、とか考えるじゃん。

 変なおばはん出てくるじゃん。

 ふざけんな。

「いや、甲斐性ってお前な」

「で、カウンセリング?」

「……だって先に言ったら絶対嫌がるだろ」

「そこまでわかってんなら連れてくな、あほーッ!」

 かれこれ小一時間抱えていたストレスを喉からぶっ放すと、じわり、と視線が集まった。

 あ、ヤバ、いや、ウィッグつけてるし大丈夫だよね、バレへんバレへん。シンデレラガールが真昼間から公衆の目があるところ前で喧嘩してるなんてみんな考えない。

 ご迷惑おかけしてまーす、と頭を下げると素直に目線が散り、少し胸を撫で下ろす。そうそう、ただの痴話喧嘩してるカップルだと思って忘れてくださいな。

「……ごめん。そこまで嫌がるとは思ってなかった」

「はぁ。あたしがよくわからんおばはん相手に真面目に話すと思う?」

「もしかしたらと思って」

「んなわけないやん。アホ」

 どう考えたらそうなるんだ、そんな楽観であたしの午後を潰しにかかんな。オフだぞオフ。

「……いいカウンセラーさんだし、助けになればと思ったんだ」

「あのおばはんめっちゃ嫌い。無理。てかカウンセリング自体が無理、なんであんなんに連れてくん。ほんま。ねえ」

 ごめん、とPさんがうな垂れ、黙り込んでしまうと、罪悪感があたしの心にちくりと棘を立てた。コトコト煮立っていた脳漿が、急激に冷えていく。

「……ごめん。ちょっと言い過ぎた」

 昔はこうも頭に血が上る質じゃなかった。親父も学校の先生も世話焼きの友人も、どちらかと言えばゆるゆると適当に流して、20年弱生きてきた方だ。

 怒りすぎず、泣きすぎず、嫌なことは笑い飛ばして、次へ次へ。昔から気まぐれが過ぎるとは言われてきたけども、それはそれで癇癪の種になるようなストレスは避けてられていた。

 それが近頃、特にPさんと二人でいるとどうにも心が安定しないことが多い。そわそわする。すぐに感情が傾く。

 なぜ、なんて自問せずとも答えはわかっている。アレだ、アレ。アイドルソングにやたらと出てくる、いまいち要領を得ないアレ。実際に味わう立場になってみるとよーくわかる。

 相手の一挙一動ですぐにはしゃぎたくなるし、泣きたくなるし、怒りたくなる。どうでもいい連絡一つでちょっとワクワクして、待ち合わせの10分ですら胸が踊って止まない。他愛もないことで期待してしまって、それが満たされなかったり、今日みたいに残念なことになると、その反動でガッツリ荒れる。でも心のどこかでは埋め合わせを考えてくれてるって期待してて、実際にそうされたらどんだけちょろいんだ塩見周子って言われても仕方ないくらいに舞い上がるんだろう。

 どうしようもなくどうしようもない、この感じ。ベタ惚れもいいとこだろう、と小さく溜息を吐けば、それがまたこそばゆく心地よい。

 学生の頃の恋愛ごっことは、また一つむず痒さが違うこの慕情。ああ、こりゃ歌うわけだわ。今にも頭の天辺から花の一つでも咲きそうなこの燻りは、歌い上げたくもなる。

「あのさ、カウンセリングは本当にもう勘弁して。心配なら、まずはPさんがあたしの話聞いてよ」

「俺相手だと言いづらいこともあるだろ。悪い夢見が続いてるなんて、仕事のストレスが原因だと俺は思って」

「そうじゃないから」

 ほら。また、少し心配してくれてるだけで浮かれてる。それこそ「うっせーなー」と返すのがあたしだったはずなのに、頬が緩むのを止められない。

「それにあたしは、胡散臭いカウンセラーのおばちゃんじゃなくて。Pさんに聞いてもらうのが、一番いい」

 浮つく心に任せて思い切り過ぎたか、口にした横から耳が熱くなる。誤魔化そうと手を伸ばした先のグラスは既に空、氷がカランと虚しく転げた。

「……そっか。じゃあ、何から聞いたもんかな」

「いいよ、あたしがくっちゃべるから耳貸してくれれば。あ、でも真面目に聞いてね。本当に、本ッ当に嘘じゃないから」

 わかった、とPさんが頷く。

 大丈夫。この人に言わずに誰に言う。そう自分に言い聞かせ、一つ大きく、息を吐く。背凭れに体重を預けると、心地よく押し返され、背筋が伸びた。

「凱旋ツアーのこと、というか、地元に行くこと、かな。それが昔のことばっかり夢に見る原因」

「地元……親父さんのことか?その時は俺も一緒に」

「挨拶行くのはもう当たり前やーん。多分婿に来いって言われるから、しっかり答えてやってね」

 Pさんの顔から表情が消える。この人はちょっとこの手のからかいに弱いところがあって、しかも毎回反応が面白いからどうにもやめられない。

 実際のところ、どう答えるつもりなのかは、ちょっと楽しみだ。どうせPさんはあたしの好意に気づいている。そして控えめに自惚れてしまうと、Pさんもあたしのことは結構よく想っている。親父は多分、その辺はまるっと察してる。

 けけけ。挨拶に行ったら京都人の陰湿プレッシャーでちくちくやられるぞ。塩見一族郎党が集いに集って堀埋め祭りだよ、覚悟せえ。

「でもね、親父じゃないんだ。もっと根本的な原理があってさ。あたし、心が地元に向くと必ず昔の夢を見るんよ」

「地元に何かのトラウマがある、とか?」

 その直球はダメでしょ。カウンセラーには向かないね、この人は。

 それに、正解はもっとしょうもない理由。

「お狐さまがね、夢で語りかけてくるんだ。ちゃんと地元に戻ってこいよ、忘れんなーって。こんこーん」

「…………お狐さま?」

 ぽかん、とした表情でPさんが問いかける。

「うん、そう、お狐さま」

「えっと、周子ってそういうアレだっけ?」

 アレ、うん、別に宗教屋さんじゃない、入信のお誘いがしたいわけでも、寄付をせびりたいわけでもないです。寄付はいつでもくれ。

「別に。でも、お狐さまとはちょっと因縁があってね。実のことを言うと、あたしって祟られ系罰当たりガールなんだ」

 そこまであたしが言うと、Pさんは小さく息を吐き、喉まで出かかっていたであろう言葉、恐らく『なんだそりゃ』かそのあたり、を打ち消した。

「……それこそカウンセリング以上に俺は門外漢だぞ。お祓いとか、何か上手いこと清める方法とか……うーん」

 また、頬が緩む。彼の声色はいつも通り。音響の悪い会場しか手配できなかったときや、衣装の納品が間に合わないと分かったときと同じ。真剣に、どこまでも馬鹿正直に悩んでくれている。要領を得ないオカルト話のために。あたしのために。

「んふふ。こーんな話信じちゃうなんて、Pさんってお人好しだよね」

「嘘じゃないから真面目に聞けって言ったのはどこの誰だ」

 そういうところがお人好しなんだ。きっといつか、ひどい女に捕まってひどい目に遭わされるに違いない。

「それに、まあ、周子の嘘は面白いからな。付き合い得だと思って聞くよ」

 いや、そうか。この人はひどい女に捕まるのも面白がっちゃうクチなんだ。それもそれで、好都合。捕まえ甲斐はないけど、逃さないための企みごとは欠かさないようにしないよう、あたしも肝に銘じておこう。

「お祓いはちょっと違うんだよね。『もうこっちくんな』ってやるわけじゃん。悪いヤツ相手じゃなくて、神様の使い相手に。多分怒るよ」

「怒る、って?」

「さー。でもすぐ怒るって評判だからね。場合によっちゃ、代跨ぎの呪い事かも」

「祟りやら、呪いやら。穏やかじゃない話だなあ」

 そう、穏やかじゃない。お狐さまはそういうヤツだ。アレは恨み深く、貸し借りをきっちり精算すること絶対に手を抜かない。地獄耳だし、嘘は好物、人の嘘を食らうことは更に大好物。だからこうやって、『因縁』の話をするのもきっと、あまりよろしくない。下手なことを言えば、それこそ厄介事になる可能性だってある。

「この先を話すと、いろいろと巻き込んじゃうことになるけど。……いい?」

 卑怯な聞き方だと自分でも思ったが、この狡さは捨てられない。

 あたしは、望んでいる。Pさんを巻き込むことを。

「……専門家じゃなくて、俺、なんだっけ」

「うん。完全にあたし個人の事情なんだけどね。……助けて欲しい、かな」

 祟り、とは名ばかりだ。祟られの身であることによる恩恵は大きい。でも、受けすぎた恩恵もそれはまた祟りと変わりない。だから、そろそろ頃合いだ。ここらで一度、お狐さまとはお別れする。

 そして、それができたら、きっとこの人が必要になるから。あたしは今日もまた、彼の善意に甘える。

「首寄越せとか言われたりしないよな」

「言われない……とは言い切れないけど。その時は割り勘で」

「……よし。どんとこい」

「ん。それじゃ、いろいろと迷惑かけちゃうと思うけど。お願いします」

 目の端に一皿目の料理を運んでくるウェイトレスが映る。ああ、そういえば二人でのんびりとランチなんて、いつ振りだろうか。オカルトトークの続きは、昼下がりのドライブにとっておいてもいいかもしれない。

 ちょっとお話は休憩しよっか、と言葉代わりに微笑んでみると、小さな笑みが答え代わりに帰ってきた。こそばゆさに目尻が落ちる。

 

外では、静かに雨が降り始めていた。

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