ONCE WAS LOST

 親父の言いつけは、たくさん破ってきた。けど、守ってきたものが一つだけある。

『迷子になったら動き回るんじゃない。その場にいろ』

 小さい頃、あたしはよく迷子になる子だった。何かに興味が湧くとふらーっとそれを追いかけていってしまうせいで、両親を困らせたことは一度や二度ではとても済まない。

 その性分は、高校3年になり、人生の岐路に立たされたときもやはり変わらなかった。だから、あたしは動き回らなかった。毎日、下校し次第店頭から菓子をくすね、緑茶を淹れ、庭に集う鳥の歌声に心を遊ばせながら、今のように縁側に陣取っていた。

『こンの、あほが!』

 そんなある日、親父はいつもとは少し、しかし明確に違う調子で、私を怒鳴りつけた。

 受験はしないのか、と聞かれた。あたしは、別にその予定はないと答えた。

 店で働くのか、と聞かれた。あたしは、今まで通り適当に手伝うよと答えた。

 本当にそれでいいのか、と聞かれた。あたしは、いいんじゃないかなと答えた。

 親父は焦れているような、悔しそうな声色であたしを叱りながら、青筋を浮かべていたように思う。今思い返せば、もっとマシな答え方があっただろう。或いは、もっと真面目に考えることもできたはずだ。でも、あたしはそうはしなかった。迷子になったら、動き回らない。けれど、親父はそのとき、あたしを見つけに来なかった。


「こら。何サボってんだ」

 だがしかし、あたしはどうにも運が良かった。見つけに来てくれる人は、ちゃんといた。18の春に迷子だったときも、今こうして仕事の隙を見て少しだけ長めの休憩を頂いているときも。必ず見つけに来てくれる人に、巡り遭うことができた。

「しー、しー。ほら、あそこの桜の木に珍しい鳥がいるんよ。騒いだら逃げちゃうから、ほら、座って」

 春陽を吸いゆるりと温かい隣の畳をぽん、と叩くと、答え代わりの小さな溜息が聞こえてきた。出まかせであることは、見抜かれているようだ。

「……少しだけだぞ」

 見抜いたところで私に付き合ってくれるのは、優しさだろうか。ああ、いや、きっと近頃は忙しかったからこういった一息も必要だ、と考えているのかもしれない。それは、困る。

「はいお菓子、はいお茶。おすそわけ」

「……用意してたの?」

「健気でしょー。見つけに来てくれたからには、ね」

「来なかったらどうするつもりだったんだ」

 そう聞かれて、私は驚いた。確かに。どうするつもりだったんだろう。まるで考えていなかった。

 この人が迎えにこなかったら。

 私を、見つけに来てくれなかったら。

 自問すると、思わず笑いがこみ上げてくる。頭の中を突けど突けど、出てくる答えは一つしかなかったのだ。

「見つけに来てくれる気しかしてなかった」

 なんだそりゃ、と問いが返ってくる。

「だって。ねぇ?」

 含みを持たせた笑顔に合わせて人差し指を唇に立てると、瞬間、浮足立った隣の想い人に、あたしは満足してくすりと笑みを深めた。

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