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シオミー・シューコとお狐さまの祟り[2]

[2]

 七五三の写真というやつは面白い。二年刻みでちんちくりんが少しずつ、少しずつ大人の姿に近づいていく様を並べてみると、何かと発見に満ち溢れている。

 3歳のときは親がいないと何もできない洟垂れの幼児だから、写真では口の周りがベトベトだったり、愚図った直後で目元が腫れていたり。でも、人格の根っこの部分はきっちり形を為しはじめている。

 5歳になれば、少しは一人の人間として確立した生き物になっている。写真の撮られ方も少しは覚えて、自分が他人の目にどう映るかに関心が出てくる。

 7歳になる頃には人柄が伝わってくるような目鼻立ちになる。どんな環境に育てられて、どんな方向に進もうとしているか。優しい子か。荒くれか。嘘吐きか。

 三つ並べたなら、それはもう十分に一人の人間のブループリントだ。然る人が見れば、愛らい児童の姿に笑いながら今の姿と照らし合わせ「あー、なるほどね」と頷かずにはいられない。

 あたしの場合は、三歳、五歳の二枚はモノクロ。七歳のときから、ようやくカラー写真だった。親父の同級生の写真屋を家まで呼んで、親父の自慢の掛け軸の前で、親父が作った千歳飴を舐めながら撮った。

 三歳のときはアホ面を晒して、五歳は髪飾りで遊ぶのに夢中で、七歳は澄まし顔でによっと笑って。自分で見返すと腹立つがきんちょだなーとしか思わないが、仕事ついでに実家に寄った折に埃をかぶったアルバムの中にそれを見つけたPさんは、かわいいかわいいと喜んでいた。あまりにはしゃぐものだから照れくさかったが、初めて家族以外に見せたもので、褒めてもらえたことはまあ、嬉しかった。後日、勝手に人に見せるんじゃないと親父から雷を落とされたが、Pさんが気に入っていたことを伝えるとそれもすぐに収まった。

 貴重な、あたしの幼少時の写真。

 三歳から七歳までの間の写真はその三枚しかない。

 あの頃、あたしは「忌み子」と呼ばれていた。あたしは周囲から気味悪がられていて、その視線に対して過敏になっていた親父はあたしを外に出したがらなかった。

『周子、家ん中戻れ。勝手に表出るんやない』

 少し悔しそうにそう言う親父の声は、耳の奥にこびり付いて離れない。

 街の誰もが知っていた。噂していた。

 塩見の子は、白い。

 白い。

 塩見の子は、髪も、睫も、眉も、肌も、背筋に薄ら寒さが走る程、不吉に白く。

 

 そして瞳が、赤い。

・・・

「え、赤?」 

ハンドルを握り前を見据えたまま、Pさんは素っ頓狂な声を挙げた。

「そう、赤。見とく?」

「……後で」

「いやいや、今ちょろっと見せたげるよ。ほれほれー」

 浅緑のサマーニットの胸元をグイっと開いて屈む。このくらいの角度なら運転席からでも谷間からお腹の方まで見えて結構エロいはず。

「ちょ、こら、やめなさい」

 奇しくも今日のランジェリーは落ち着いたワインレッド、乳房を覆う布の付き方がふわっとしていて支え具合はイマイチだが、胸のシルエットを想像させるような緩さとそれを際立てる光沢がなんともいやらしい。下もはらりと脱がせられるような紐が実用感満載で、買った当時は「こいつはできる子だ」と思いながら選んだ。ザ・勝負用。

 なのに出番が来ない。全然来ない。この子の姉も妹も、全然出番が来ない。目の前のこいつが唐変朴なせいで、一生ベンチウォーマーだ。

 もう一度やめなさいと言う代わりに小さく一つ咳を払い、Pさんが言葉を改める。心なしか、流れる風景が加速した。

「……で、え、赤?目が?」

「うん。今のブラくらい赤い」

「マジか。大分赤いな」

 あ、しっかり見てやがったこいつ。ちゃんと反応するとこは反応してよ。なんでこういうとこでセコいんだ。

「これ、実はコンタクトなんだ。茶色だとちょっと赤味が出ちゃうから、黒。六つの時から使ってる。目も悪いから度入りで、他にもちょろちょろ特注」

「赤ってことは、なんだ、その」

「そ。珍しいでしょ」

 奇跡の遺伝子だの、ノアの申し子だの、いろいろ呼び方はあるが、要はアルビノだ。体がメラニンを作らない。色素がない。

「聞いてないぞ……健康診断とかでもそんな話なかっただろ」

「健診は毎回地元で受けてたからね。事情わかってるお医者さんにお願いしててさ」

 それにアルビノと言っても、日常に大した支障があるわけでもない。職柄上、陽に晒されることに対して現場は配慮してくれるし、強めのサンスクリーンを徹底して使えば大抵のことはへっちゃらになる。コンタクトを外さず、睫毛眉毛を黒にしてさえしまえばただのやたらと色白な人だ。ただし、俗に言うアルビノとは決定的に違うところが、一つ。

「生まれつき、だよな?」

「ううん。後天的。三歳の時にお狐さまに全部持ってかれた。らしい」

 何を言ってるんだ、と言わんばかりにPさんが片眉を吊り上げる。

「これが、お狐さまへの『支払い』」

「……色素が?」

「そゆこと」

「何買ったの」

「お狐さまの加護、かな。ただどういう条件の取引だったのか全然覚えてない。そもそもさ、一歳の赤ん坊に買い物させるお狐さまにも問題があると思わない?」

 親父曰く、あたしを連れて稲荷神社へお参りに行った翌日から徐々に「色が消えていった」らしい。突然目と肌と毛の色が変わりはじめるものだから、死ぬんじゃないかと驚いて町中走り回ったが、残ったのは「塩見の子はお稲荷様に祟られたらしい」という噂だけ。

 しかし瞳の色を誤魔化して小学校に通うようになれば、人並み以上に勉強も運動もでき、神童だなどと持て囃されるようになった。気味悪がられていたはずの見た目も可憐だなんだと褒められるようになり、近所の年寄りにも可愛がられ始めてからはよく店番に立たされた。人からちやほやされるのが、あたしの日常だった。

 苦労知らず、と言えばそうなのだろう。勉強も運動も、目の前のことをこなすだけなんでも上手くいった。それを妬む同級生の女子も、やたらと執拗に絡んでくる男子も、『勘弁してよ』と思えば労せずともいつしか去っていった。そんなこんなで気が付けば適当にやれば上手くいくことにすっかり慣れて齢18。プー子の出来上がりだ。

 そしてそれを矯正しようとした親父から逃げ、この人と出会い、アイドルなんて似合わないことをして。今までの人生はなんだったんだと思ってしまう程に最初から最後まで楽はできなかったが、それでもちゃっかり先輩も同期も後輩も追い越して、頂点まで届いてしまった。

 さあ。どこからどこまでがお狐さまの加護なのか。もしも、その全部が加護の賜物だったとしたら。この人と出会ったことすらも、そうだったとしたら。

 それでいいのか。

 この人にここまで連れて来られて。たくさん一緒に泣いて、笑って、頭を抱えて、そんなこんなでタブーにしてたはずの慕情が芽生えちゃって、それも笑い飛ばして、誤魔化して。やっとの思いで頂点まで届いたのに。

 それも全てお狐さまのおかげであることを、受け入れられるのか。

 答えは、もう決まっている。凱旋ツアーの予定が決まった日の夜、お狐さまが毎度のようにあたしに夢を見せて恩を売りにきた瞬間、飛び起きて床を殴りつけ、決めたのだ。あの夜の夢はPさんに拾われた日のことだった。

 それだけは、認められない。許せない。こればっかりは、この人とのつながりだけは、この人に連れてきてもらったこの輝くステージだけは、絶対にあたしのものだ。これをお狐さまに渡してしまったら、塩見周子はダメになる。Pさんに出会ってからのあたしの物語は、守られながら逃げ回ることしか知らなかったあたしがようやく手に入れた、祟りの外にある、尊く、貴重で、愛でるべき『自由』の象徴でなければならないのだ。

「ま、お狐さまに守ってもらうのはもう終わりにしたいわけよ。代金は返してもらえなくていいから、契約は解除、解除」

「とは言っても、支払いは済んでるんだろ。恩恵があり続けるなら破棄しなくてもいいんじゃないのか」

「そうなんだけど、過ぎたるは猶及ばざるが如し、ってね。お狐さまに甘えてばっかりだとダメ人間になっちゃうからさ。自分には厳しくいかないと」

 あまりにも自分に似合わない言葉に、思わず笑ってしまう。Pさんは苦笑いするあたしを目の端で捉え、観念したように小さく溜息を吐いた。

「で。どうやってその契約は解除するんだ」

うん。そこだ、そこ。

「わかんないんだよねー」

次の溜息は、大きかった。

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