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シオミー・シューコとお狐さまの祟り[0]

「過去についての夢を見るのは、脳が記憶の引き出しを整理しようとしているからですよ、塩見さん」

「そっかーそうなんだー。じゃああたしが同じ夢ばっかり見るのは脳みそが引き出しにひっかかっちゃってるからかなー」

「あっはは、そうかもしれませんねぇ」

「何笑てんの」

「…………」

 あ。今のは流石に感じ悪すぎか。

 時計の針は13時20分を刺していた。

 事務所に入ったばかりの頃、壁でも腕でも時計をやたらと見る癖はよくない、とPさんに怒られたことがある。

 正論だ。真面目に話している人の対面でチラチラと時計を見れば、それは興味がありません、あなたとの会話は無駄な時間です、と言っているようなものだ。

 流石のあたしでもそれくらいはわかるが、その時のPさんの怒り方は『プー子に常識は期待できないか、教育が大変そうだなあ』と困っているようで、それがどうにも癪だったから必死で直した。ような気がする。

 けど、時計を見ることが許される場合もあるはずだ。例えば、今。包み隠さずに『帰りたい』と言いたいけど、まあ角が立ちすぎるから直接は言わない。その辺、あたしも丸くなったのだ。

 だけど時計は見る。めっちゃ帰りたいから、めっちゃ見る。おばはん、気づいて。あたしゃ帰りたいんだよ、全然会話する気ないからさっさと解放してくれ。

「……ふふ。塩見さん、噂通りの方なんですね」

 おばはんはけろりと笑ってみせたが、あたしはとうに限界を迎えていた。この部屋に詰め込まれて20分。カウンセリングというやつは初めてだが、どうにも気に入らない。何もかもが気に入らない。

 まず、部屋が気に入らない。腰がまるで落ち着かないふわっふわのソファー。ぎらぎらと光る趣味の悪いマホガニーのコーヒーテーブル。少し体重をかけただけでスリッパが沈み込む柔らかい絨毯。カウンセリングという心にベタベタ触る気色の悪い行為を誤魔化すために快適さを演出しているこの空間は、何もかもがわざとらしく、鼻に付く。

 そして、人が気に入らない。うんざりするような笑顔を貼り付けた目の前のおばはんはどこかで見たことがあるような顔だが、なんやこの胡散臭さ。カウンセリングなんぞにあたしを放り込みやがった上にこの場にいないPさんもPさんだ、ふざけんなあたしのオフを返せ。

 そもそも何、珍しく休み合わせてくれてドライブなんて誘ってくれたから気合い入れて服選んで、万が一に備えて手入れもして下着もいい感じの引っ張り出して、連れてこられたのがカウンセリングて。アホ、ほんまアホ。嫌い。

 ああ、なんか考え出したらいい感じにイライラに火がついてきた。とりあえず気に入らない奴らのうち一番身近な絨毯を攻撃すべく、スリッパを脱ぎ捨てる。

「塩見さん。お仕事については、どう思われていますか?」

 ワントーン低くなった声は『おいその絨毯高いんだぞ、毟るなアホンダラ』と言い堪えているようだったが、無視無視。このお高くとまった感じのふさふさが足指の間で散っていく感じがたまらないね。

「楽しいよー。楽しい楽しい」

 毟るのも楽しいしお仕事も楽しい。正直は大事。

 だが、あたしの答えが気に入らなかったのか、カウンセラーのおばはん―名前はなんだったっけ―は片眉を釣り上げた。

「プライベート……お仕事以外の生活は?」

「楽しい楽しい」

 そしてついにはあたしを真っ直ぐ見つめ続ける中年顔の眉間に、皺が寄り始める。知ってる、その顔。高校の進路指導のセンセーもそんな顔してた。こっちは真面目に話してるんだぞ、ってね。うん。わかるよ。

 でもね、あたしは進路相談のときは本当にどうでもいいと思ってたし、今も本当に仕事もオフも楽しいと思ってる。正直さを評価して欲しいね、正直さを。

「逆に、楽しくないと感じるのは、どんなときでしょうか」

 あのときは塩見は好きなこととかないのかって聞かれて、家でごろごろすることって答えたらマジ切れされたっけ。なんだかなあ。今回も怒られるのでしょうか、塩見周子。

「んー、カウンセリングに連れてこられたときとかかなー」

 うん、そうやって溜息つくのも既視感あるある。こいつと話してると時間の無駄だなって思ってるんだよね、あたしもそう思ってるから、両想い。

「……今日の予約の連絡をくださった貴方のプロデューサーさん、彼、貴方のことをすっごく心配していたの」

 これは、今回のセッションで初めてのどうでもよくない情報。ナイスジョブおばちゃん。Pさんは見えないところで心配していらん手回すくらいなら甲斐性見せろ。ご飯連れてけ。

 「まあ、それもあの人の仕事の内だしね」

「たとえそうであっても彼の善意を粗末に扱うのは」

 おばはんが語気を強め始め、一つ、強く息を吐く。

 その瞬間、ぐらり、と頭の中が揺れた。

「っるせーなー」

 始まりかけた説教を遮ったあたしの呟きにおばはんは少し驚いたようだったが、それはあたしも同じだった。

 あれ。こんなもん? 今、もっとぐらっときてたでしょ。もっと言えたはず。

 『何が善意を粗末にするな、だ。うるさい。そんなこと知ってる。これは粗末にする、しないの問題じゃない。あの人から善意を受け取ったからには、それはあたしのものだ。どうするかはあたしが決める。あの人にどう返すかも、当然、あたしが決める。それがあの人とあたしのルールだ。お前が入る余地はない』

 それくらいはよーいどんでがなり立てるはずだった。なのに、あたしの舌が綴ったのは「っせーなー」だけ。よく言い堪えた、褒めてつかわす。

「……日を改めましょうか」

 うん、いい提案。あたしのやる気が皆無なのが伝わって何より、話す気はさらさらないから引き出そうとするだけ無駄だし日は改めまくってもらえるとありがたい。

だって、このおばはんが出してくれる結論なんて、どうせ二つに一つ。

一つ、素直に夢のことや仕事のことを話す、するとは小難しい名前のストレス障害にされる。「お薬出しますねー」。「来週もまた来てくださいねー」。終わり。アイドルはストレス溜まる仕事だしね。人目には晒されるし、遊び辛いし。あるよねー。

一つ、あたしから夢のことについて、心当たりを話す、すると「危ない薬でも使ってるんじゃないですか。薬物検査受けましょう」「おつむは大丈夫ですか」とか言われる。いい病院を紹介してもらえる。終わり。アイドルはストレス溜まる仕事だしね。こっそり家で薬打ってる子もやっぱりたまにいるよねー。

でも、あたしはそのどちらでもない。

理解が得られないのなら、本当のことなんて話す必要はまるでない。

話したくない。

話せない。

だって、昔の夢を視る原因は、実は小さい頃にお狐さまに祟られたからなんです、なんて。

ちょっと、ねぇ。

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