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THE NIGHTS

 爺っちゃんは、夜にギターを弾くことを日課にしていた。私は、それが好きだった。

 だから連休で爺っちゃんの家に遊びに行くと、夜にはベランダに出て一緒に弾き語りをするのが、私が5つの時からのお決まりの行事だった。
 夕食を摂り、私がお風呂から出て客室のベッドの上で祖母譲りの大ボリュームの癖毛を乾かすことに苦戦していると、爺っちゃんは決まって「おーい柑奈、やるぞお」とガラガラ声をベランダから張り上げる。その声を聞くと意識が指で弾かれたように跳ね起き、私は急かされるようにスーツケースからボヘミアンサンダルを引っ張り出し、頭にタオルを巻き、ベランダに通じる大窓がある二階の廊下へ早足で向かう。
 大窓の前では婆っちゃんが必ず待っていて、風邪をひく前に中に戻るように、とお約束の言いつけを口にしながら、シナモンの香水が沁み込んだナバホ柄の膝掛と、風がある日には同じ匂いのショールを渡してくれる。

 ぎりりと軋むサッシ窓を開いてベランダに立つと、田んぼと森が続くなんの変哲もない長崎の田舎風景が広がっている。だが、見飽きた遠景があるからこそ、あのベランダは特別なステージだった。爺っちゃんの自慢の一対の揺り椅子とその間のコーヒーテーブルの上で柔らかい橙色の光を放ちながら佇むカンテラの相奏でる眩い温かさは、まるで別の世界から切り取って持ってきたような特異さがあった。体重をかけるとキシリと小気味よい悲鳴を上げる揺り椅子に背中を預け、シナモンの香りに包まり、爺っちゃんが「やっか」と呟いたら、私と爺っちゃんの小さなコンサートの始まりだ。

 ポロロン、と爺っちゃんが一つコードを鳴らす。私は、コードから音を取る。しばらく繰り返すと、爺っちゃんのギターと私の喉の調子が揃ってくる。揃ってくると、爺っちゃんは笑う。私も、笑う。笑いながら爺っちゃんは弦をかき鳴らし、曲が始まる。私は、歌う。爺っちゃんは揺り椅子に思いっきり体を預けながら夜の空を仰ぎながら気持ちよさそうに奏でて、たまに歌う。私も真似をするが、重さが足りなくて椅子に揺り返されてしまう。私はその度に、早く大人になりたいと思っていた。

 爺っちゃんは、歌が下手だ。指は魔法のように弦をはじくのに、喉は田んぼのカエルといい勝負だ。爺っちゃんも自覚はあったようで、私が小学生高学年の頃だったか、私に歌は任せると言い切った日からはめっきり歌わなくなった。私が生まれる少し前に爺っちゃんが喉の手術をしていたということを父ちゃんから聞いたのは、そのしばらく後だった。昔は、地元では力強い歌声で有名だったらしい。それを聞いた私はなぜだか爺っちゃんに認められた気がして、歌うことが好きになった。

 爺っちゃんは、ギターが下手になってしまった。私が高校一年生の時に突然、もう弾かないから柑奈にやろう、と長年の相棒だったと何度も語っていたギターを渡してきた。私は嫌だと言った。爺っちゃんと二人で弾き語りをするのが好きだから、爺っちゃんが弾いてくれないと困る、と喚いた。爺っちゃんは初めて見る泣きそうな顔で、指が痛くてもう弾けん、ごめんな柑奈、と目を伏せた。私は、泣いた。揺り椅子に背中を預け、空を仰ぎながら、爺っちゃんのギターを抱いて喉が枯れるまで泣いた。爺っちゃんも、釣られて泣いた。カンテラのくすんだオレンジ色の炎が、ゆらゆらと踊っていた。

 そして、爺っちゃんは私に教えてくれた。いつかはわからないが、きっと何年もしないうちに自分は死ぬ、と。何かの病気なのか、と私は問い詰めた。単に歳なだけだ、と爺っちゃんは微笑んだ。どう返したものかわからず黙り込んでしまった私の肩をポンと叩き、誰にでもその時は来る、と爺っちゃんは続けた。婆っちゃんにも、父ちゃんにも。柑奈にも。

 いつもおどけた調子で笑い話ばかりしていた爺っちゃんが、急に真面目に死について話し始めるものだから、私は怖くなって、唇を噛んだ。それを見た爺っちゃんは私が抱きかかえているギターの弦を指でなぞり、くしゃりと笑った。

 爺っちゃんは言った。歳をとると心は若りし日々に縋るものだから、縋れるような思い出を作れ、と。

 爺っちゃんは言った。人の記憶に生き続けることなんて考えなくていい、自分の記憶に生き続けろ、と。

 爺っちゃんは言った。どこまでも遠くに行ってみろ、と。怖くなったら、爺っちゃんのことを思い出せ、いつでもこのベランダに連れて帰ってやる、と。

 爺っちゃんは言った。今夜みたいな夜を数え切れないほど刻んで、豊かに生きろ、と。

 私は頷いて、人差し指で弦をはじいた。昨日までは爺っちゃんと私のステージだった空間にGの音が澄み響き、カエルたちの歌声にかき消されていった。

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