時々怖くなる

今日は2024/05/17。金曜日の夜。
最終プレゼンが終わって、3,4年生のfitting modelを連日でして、木・金で家で過ごした。体がだらんとする。疲労と、少しの燃え尽きだと思う。

時々自分のことが怖くなる。
強い目的があって、それに向かっている毎日は苦しい部分もあるけど楽しい。情熱で溢れている。生きがいのある毎日。
でも終わるとだらんとなる。抜け殻のようになって、軽く鬱になる。
そんなサイクルで生きていたらどこかで何かが決定的におかしくなる

2020年を思い出す。2020-2022年は幸せではあったけど辛かった。
人生で一番しんどい時期なんじゃないかな。もう戻りたくない。
今より10キロ太っていて、自分が太ったことにもわかっていなかった。
もうああなりたくない。幸せがそうさせたのか、わからない。

人に依存しないかが怖い。
東京に戻って、自分を他人と比べずに保つことができるか、それに自信がない。いまウィーンに来て、一番の強さは自由だ。言語によって外界と程よく遮断され、自分だけの世界が一定に保たれている。自分がアウトサイダーであることに守られている。

美味しくないお米でカレーを食べた。夜ご飯は食べても食べなくてもよかったが、特にやることがなかったから食べた。

知りきった国で、知りきった社会で、少し断絶して生きていくことは難しい。東京にいた自分は、溺れながら生きていたような気もする。
多分みんな溺れていて、溺れながら生きていかなくてはいけなくて、みんな溺れているからそれがぼやけてわからなくなる。
お金を使わないと息抜きができない。
固定観念の残る女と男。時間。

それだけでオーストリアにこれてよかった。
来れなかったら恐ろしい。私は死んでいたと思う。死を選ぶタイミングは何度かあった。今まで死ななくて良かったし、死なない人生を選べて、そのチャンスを掴むことができて心底感謝したい

今までよく死ななかったと思う。
よく今この瞬間まで繋がった。たまに夢で過去にいる時がある。目覚めるとウィーンにいて。ここで生きれている毎日に感謝する。
その喜びに静かに涙する朝もある
今この瞬間だけをみて生きたい。
今わたしの人生は私だけのもので。誰のためにも生きていない
それが何よりもの幸せで、誇りだ。
私は一生こうでありたい。自分の存在の重さを感じながら、自由と共に。

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