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「公害の歴史を忘れてはいけない」どうして?ーー阿武野勝彦監督ドキュメンタリー作品『青空どろぼう』

教科書にも出てくる日本の四大公害病ーー富山の「イタイイタイ病」、熊本の「水俣病」、新潟の「第二水俣病(新潟水俣病)」そして三重の「四日市公害」。その中で「四日市公害」の発生とその被害者の闘いの歴史を描いた、東海テレビ制作のドキュメンタリー作品である。宮本信子氏ナレーション、本多俊之氏音楽。伊丹十三監督映画『マルサの女』のお二人が、作品により一層の力を添えている。

地元でありながら、四日市公害について知ってはいたが、全く理解していなかったーーというのが正直な感想である。公害のもとになった、四日市の石油化学コンビナートは現在、夜景の名所として有名になり、近くの湾から眺めることができるナイトクルーズも人気を集めていて、ご存知の方もいらっしゃるかもしれない。私自身、コンビナートの光が好きだった。三重県津市で仕事をしていたとき、帰途の電車から、コンビナートの無数の灯りが見えてくると「ああ帰ってきたな」と無性に感慨にふけったものだった。だが、この作品を観た今、かつてのように無邪気に喜ぶことはできない。

四日市港にあるビル「うみてらす14(フォーティーン)」の展望展示室にあるジオラマ。第一石油化学コンビナートと、川の手前の住宅地が近いのがわかる。


四日市石油化学コンビナートからの排煙を原因とした呼吸器疾患、「四日市公害」は、「四日市ぜんそく」として有名だが、「ぜんそく性気管支炎」「気管支ぜんそく」「慢性気管支炎」「肺気腫」の四つが公害病として指定されている。1955年に塩浜地区に石油化学コンビナートが建設され、1961年頃からぜんそく症状の患者が多発し始めたという。1972年、四日市公害訴訟の判決で原告(公害認定患者)が勝訴した。その前後にはイタイイタイ病、新潟水俣病、水俣病の訴訟でいずれも原告の公害被害者が勝訴しており、1974年には公害による健康被害を補償する「公害健康被害補償法」(公健法)が成立している。なお、この公健法は1988年に改正され、その後、四日市公害のものと認定された患者はいないそうだが、「もはやみな健康である」ことを意味するものではない。西部戦線異状なし、なのだろう。

四日市市により認定された公害患者の累計、2,200名以上 死者、1,046名 四日市公害の苦しさしさのあまり自殺した者、6名 ・・・そして、現在も370名以上の四日市公害認定患者が暮らしらしている。
池田理知子・伊藤三男(編)、矢田恵梨子(漫画)『空の青さはひとつだけ マンガがつなぐ四日市公害』くんぷる(2016);  pp.52-53.なお、四日市市役所環境保全課によるH28年度(2016)5月末の統計データとのこと。


現在、近鉄四日市駅からほど近い四日市市立博物館には、「四日市公害と環境未来館」という展示がある。その前にも訪れたことはあったが、映画を観てからどうにも気になって、翌日に再訪した。常設展として、無料で観覧できる。なお、ウェブサイトの「各種資料」から、年度ごとの来訪人数や企画、語り部さんの動画も閲覧できる。大変いいページであるので是非継続して頂きたい。

『青空どろぼう』に登場する澤井余志郎さん、公害裁判の原告のお一人でもある野田之一(ゆきかず)さんが、2010年公開時にご高齢だったことは気になっていた。ここでの展示で、澤井さんは2015年、野田さんは2019年にそれぞれご逝去されていたことを知った。覚悟していたとはいえ、実際に存じ上げない方とはいえ、たださみしかった。作品で聞いてきた語りが、身近なお国訛りで、お二人とも「近所のおじいちゃん」のような気がしていたからだろうか。

野田さんは言った。「社会運動で誤解されがちだが、企業が悪で市民が善とか、誰がよくて誰が悪い、というものではない。誰も彼もが、ふるさとをよくしたいと思う気持ちで突き進んだ結果、取り返しのつかない結果になることがあるのだ。それを、子供達にどう伝えればいいか・・・」

コンビナートにほど近い、塩浜(しおはま)小学校の手洗い場を再現した展示。40個ほどの蛇口が並び、生徒たちは1日6回もうがいをする必要があったという。

東海テレビの別のドキュメンタリー作品『光と影 光市母子殺害事件 弁護団の300日』にも共通することだが、「どうしてこのような不幸な結果になったのか、こういうことを二度と起こさないためにはどうすればいいか」ということが問われていた。「公害を忘れてはいけない」「戦争を忘れてはいけない」と人は言う。なぜ、忘れてはいけないのか。歴史において哀しみを作り出してきたのは、往々にして「もっと暮らしを、社会をよくしたい、平和な世界を実現したい」という思いがあったからである。行政サービスのデジタル化、スーパーシティ構想、現在進行形の「よりよい暮らしのための」取り組みも、何かおかしい、と思ったならば、立ち止まらなければならないのだ。そのために、公害や戦争の歴史を忘れてはいけないのだ。野田さんは、原告として常に見聞きし、考えて、語る言葉を得てきた。そうした本質を捉えた言葉は、私の心も捉えて離さないでいる。

「うみてらす14(フォーティーン)から眺めた四日市石油化学コンビナート。風のつよい日だった。

[参考文献]
池田理知子・伊藤三男(編)、矢田恵梨子(漫画)『空の青さはひとつだけ マンガがつなぐ四日市公害』くんぷる(2016)
独立行政法人 環境再生保全機構「公害健康被害補償法の制定(1973年)」、https://www.erca.go.jp/yobou/taiki/rekishi/03_08.html、2022.2.22閲覧.
堤未果『デジタル・ファシズム 日本の資産と主権が消える』NHK出版(2021)

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