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編み物と恥の心理考察について

2023年のお正月早々、私は破れたお気に入りの手袋と共に手芸店へやってきた。

グレーの毛糸を選び、店員さんに(編み物全然初心者なんですけどーという恥ずかしさを隠しつつ)この破れた毛糸の手袋を補修するべく必要なかぎ針はどれを選べば?という質問をし、針と毛糸を購入。

その金額なら自分でやってみます!という事件


振り返れば、あまりにお気に入りの指ぬき手袋に二か所破れが生じ始め、そ
れでも使い続けていたらえらいことになってきたので、自分でダーニング的にお直しをしよう~と取り出すも、あまりの編地の複雑さとボロボロ加減に5回くらい断念し、捨てようかと毎度思っていたのだけど、みればみるほど可愛い手編みの手袋、そして指ぬきなのにとっても暖かく実用性もとてもある、ということで、どうしても捨てることもできず。

しかし、使えないまま2年が過ぎ、タンスのこやしも本末転倒ではないかと、自分に突っ込みをいれて又考える。イヤイヤ、お直しという手があるではないか!?と下調べを色々しつつ、比較的安そうなお直し屋さんへもっていくと、
『2か所なので5500円です』という驚異的な金額を言い渡されたため、あっさりすごすご家へ帰り、youtubeを見まくって、糸を継ぎ足してやってみようと思い立っての手芸店なのでした。

で、自意識過剰な『いや編み物なんてできないやつがなんか補修しようとしてはりますわ』という恥ずかしさをこらえつつ買ってしまった、かぎ針と糸と破れた手袋。

そう、かぎ針と毛糸と破れた手袋がカバンの中に。

と思った瞬間からもう、

わくわく、わくわく、

というテンションに入りまくってしまって、

補修はなんかもーめちゃ素人!という出来だったに関わらず、

何か作りたい!この勢いで、かぎ針で何か作ろー!となったわけです。

すごいです。この情熱?


恥ずかしく苦い思春期の思い出


思えば、小学生の頃は簡単なかぎ針を祖母に教わり、中学1年生では棒針でマフラーを編んでいた私。

なぜ編み物をやめてしまったのか。

それは紺色のマフラーを編み続けて1メートル近い長さになった頃、
同時期に背中に痛みが走り、保健室へ。

そこには例によってたむろするちょっとやんちゃっぽい上級生がいて、
保険の先生に背中の痛みを訴えると、
『あなた何かしてるでしょ?』
と言われ、
『編み物』と答えると、
私が痛いのは背中だったのにサバサバした先生は問答無用と言わんばかりに『肩こりよ!』と言い放ち、
又編み物をやめれば肩こりは治ると断言。

思春期の子供心としては、マフラー編んで肩こりになる=とっても恥ずかしい
そして一部始終を上級生に(見知らぬ人ではあったが)聞かれてしまった=とっても恥ずかしい
という状況にいたたまれなくなって、そこで編み物はストップしてマフラーも編みあがらないまま。


その思春期ゆえの勝手に恥ずかしくなってしまった自分事件が編み物から勝手に遠ざかっていた理由なのかもとうっすら思い、

いづれは棒針にチャレンジしたい、と思いつつかぎ針を動かす日々を過ごし、簡単にできるかぎ針の編み小物という本をいくつか読んで制作。

まずはシュシュから

そして2か月後に編み物教室デビューを果たし、3か月後の現在は棒針でスヌード制作中。棒針は初めてだけど作品としてはかぎ針作品を足すと6作目。


かなりお気に入りのコサージュ

人間はいつでも成長できるのだわ。好きであればなおさら✨


恥についての心理考察


ちなみに私は幼少期は親や家族から、よくからかわれて育った。
大人になって心理学の本を読むと、
からかわれて育った子は『恥の感覚を持ちやすい』
という記述があった。

私の保健室での体験も、素人なのに補修しようとしてる自分に対しても、
私は『恥ずかしい』と思いやすい傾向があるのだろうと思う。

からかい、というのは、可愛がり、と思っている人もいるだろうが、
からかわなくても、可愛がることはできる。
からかい、というのは結構日本の独特文化だとも思う。
私は安易にからかった友人から『何度も言わんといて!』ときつく言われたことがあって、その言葉に傷ついたものの、その体験は貴重なものとなった。

又アメリカ人の友人に漢字を教えていた時、字の拙さに可愛いなぁと思って悪気なく笑っていたら、恥ずかしく思った友人が怒り出してしまったので、慌てて一生懸命笑いを押し殺して、『ウマイ、すごくよくなった!』と言い続けていたら、『いいよ、ごめんね、下手なんだから笑ってもいいよ』と言ってくれたけど、これも私には貴重な体験となった。
私は笑われ、からかわれてきたので、笑ったりからかったりするのは普通だと思っていた。でもそれにNO!を友人たちは告げたのだ。

振り返ると私は幼少期にやってしまった恥ずかしい失敗を親からこれでもかと20代まで折に触れてしつこくからかわれていた。言われてる側ははじめは気づけない。そこに悪意があるとは思えないから。何度も何度も『恥ずかしい』という思いになる。でも相手の中には(表面上は悪気はなくても)実は蔑み、悪意、上から目線、非尊重などとでもいう感情があったと思う。その時、具体的にそういったものに気づけたわけではないけど、私はやっとそれに対して親に抗議できた。そこでやっと親のその出来事に対するからかいは止まった。

親に抗議できたのは、二人の友人とのエピソードがあったからだと思う。いつまでもその恥ずかしいレッテルを今の私に押し付けないでよ、とプライドを保つことができたんだと思う。


ネコが師匠


人間としての尊厳というか、自尊心というのは本当に大切だと思う。

何かができてすばらしいとか、

人の役に立ってなんぼとか、

何かできなければ認められにくい世の中だと思うから。

ネコを見習おう。


あいつらは、存在するだけで、堂々としている。


トドちゃん、違った、ハルちゃん




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