不眠が生んだ奇跡

 人の体内時計は25時間だそうだ。しかし、1日は24時間だからずれが生じる。それを睡眠によって調整する。だから、良質な睡眠を得ようとすることは重要な事だ。しかし、歳を重ねると眠っていられない、つまり早く目覚めてしまう人もいる。それが、生活に支障をきたすほどであれば不眠症と呼ばれる常態だ。高齢者に多い。原因は、体力の衰えと、体内時計が変動してしまうことにあるようだ。体内時計の老化と言ってもいい。高齢者の多くの体内時計は24時間よりも短くなってしまうと言う。22時間や20時間と言うように。ずれる分、眠りが早く訪れるため、当然、目覚めも早く訪れてしまう。自身の体内で時差が作られていると言う訳だ。未明に目覚めてしまっては何もできることはない。周囲も寝静まっていて、紛らわしてくれるような生活音さえも聞こえてこない。そんな静寂にあればこそ余計な心配を膨らませてしまうことに。それが積み重なってストレスと睡眠不足をため込んでしまう。不眠の悪循環。言うは易しかもしれないが、対処法として、目覚めてしまったならその時間を有効活用してしまえばいいと、開き直ってみるのも時々はいいのかもしれない。
 母は朝4時前には目覚めていると言う。不眠症の診断を受けている。2時や3時に目覚めてしまう事もあった。今は酷い頃よりは眠れるようになった。布団の中で1時間ほどスマホを見てから4時30分には起き出し自身の畑に向かう。鳥たちだけが騒がしく、車も走ってもいない。周囲の家庭菜園仲間の畑には誰もいない。あまり喜べない一番乗りにいつも母は苦笑する。会話もないままに農作業を始めるのは気分が上がらないから、自身の畑の中心に立ち、淡い朝日を受けた吾妻連峰を見回し静謐な雰囲気に慰めてもらう。早起きは三文の徳なはずだ。早朝の清らかな空気を大きく胸一杯に吸い込むと、早起きも悪くないと徐々に想えて気分も上がってくると言う。今朝は隣の畑に先に人影があった。挨拶を交わし家庭菜園仲間のその人から母はこう言われたそうだ。「ここんところ畑に行きたくないと想っていたんだが、あんたがいつも一番に畑にきていることを思い出して、俺もそうでなければと思って今日は畑にきたんだ。」と笑顔を向けられたと言う。その人は80歳を超えた男性で妻を先に亡くしてしまった。一人暮らしに怠惰にならないように畑で野菜を作っている。自分で食べる訳でもなく食べてくれる家族が近くにいる訳でもない。しかし、野菜を作っていれば、畑にほぼ毎日行かなければならないし、そこで家庭菜園仲間同士で会話を交わすこともできるからと野菜作りを続けている。体が言うことを聞かず、上手に育てられない野菜もある。上手にできたものは近所に食べてもらうなどして関りを保っている。「体調は大丈夫なの。」「大丈夫だ。」とのどちらからともなく労いの言葉を好感する。母の不眠による、時間の使い方、つまり、またどうにかしてでも寝ようとするのではなく、開き直って、早々と畑に向かうと言うその考えが、誰かの励ましにもなっていたと言う奇跡に感動を覚えた。オリンピックの選手らの頑張りに励ましを貰ったと同じぐらいだと言っても大袈裟だとは思わない。早朝のたった二人だけの家庭菜園仲間同士の励ましや頑張り屋その生き方としての奇跡の光景には癒される。助け合って生きていく。早朝の空気と同じ人の心の清々しさに触れ、母から話を聞かされただけの僕までもその雰囲気に包まれ癒されていた。

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