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悪を善に変える

悪を善に変える

詩篇‬ ‭76‬:‭10‬‬ 2024 05 14 (火) 「悪を善に替える」
まことに人の怒りはあなたをほめたたえる。 怒りの余りをあなたは帯とされる。

不思議なことばです。神さまが人間の怒りから良いものを引き出すと言うのです。人間関係で怒りが良いものを生み出した実例は思い当たりません。人が誰かに怒りに任せて悪を行うことは珍しいことではなく、その結末は和解するにしてもさわやかではなく、苦々しさは残ります。かえって良い身を結んだということは少ないのではないでしょうか。

ところが創世記を見ると、今から四千年前、ヤコブの子ヨセフの兄たちが嫉妬に駆られて彼を奴隷に売り飛ばす記事があります。ヨセフは17才で奴隷となり、奴隷として13年間苦しむのですが、あるとき二人の高官の夢解きをし、神の知恵の宿っていることがファラオに伝わりました。今度は王の夢の解き明かしを頼まれ、大豊作が7年続いたのち、大飢饉が7年続くことを神の知恵によって告げました。さらに飢饉を克服する方法を進言し、これがファラオの目にかなってエジプトの総理大臣に大抜擢されました。

ヨセフが最初にした政策は7年間の大豊作のうちに、収穫の五分の一を都市ごとに備蓄させることでした。豊作が終わると預言どおり大飢饉が始まり、実家も飢え始めてお兄さんたちがエジプトへ食糧を買いに来ます。彼らはヨセフと知らず総理大臣に食糧を売ってくださいと懇願します。やがてその大臣が自分たちが奴隷に売り飛ばしたヨセフであることがわかり、復讐されるのではないかと震え上がります。

しかしヨセフは彼らを赦します。「お兄さんたちがしたことはどう転んでも悪だけれども、神さまはお兄さんたちより先に自分をエジプトに遣わし、総理大臣にし、飢饉の中でも一族をじゅうぶん養えるように準備してくださった。この神の摂理ぬゆえに赦します」と言いました。お兄さんたちのしたことは弁解の余地のない悪です。結果オーライだからといって免責されるものではありません (ですから彼らはヨセフに謝罪する必要がありました。彼はそれを受け入れ赦しました)。しかしそれにもかかわらず神はその悪を用いて善に変えてしまわれました。実に「怒りの余りをあなたは帯とされ」 たわけです。人間の罪も失敗も、神に従う人には赦しと回復があります。このようなどんでん返し、逆転ホームランが用意されています。


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