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ギブ&ギブ

マタイの福音書 20:15    2024 04 03 (水)
自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。

有名なぶどう園の労働者のたとえ話です。とびきり難解な個所と言えるでしょう。なぜ難しいのかといえば、長時間働いた人と短時間働いた人とが同じ賃金であるからです。経営者がこんなことをすれば、朝から真面目に働く人は誰もいなくなるでしょう。機会の平等ではなく、結果の平等は人から働く意欲を奪います。

ロシア革命に始まる社会主義経済が軒並み破綻したのも、人間の競争心を悪とみなしたからです。これは人間性を理想化した間違いで、競争心がなければ人間も社会も衰退します。しかしだからと言ってその悪い側面も無視できません。もし社会が経済効率一辺倒だったら、弱者の生きる道は無くなるでしょう。競争と救済のバランスが必要です。

ではイエスさまはこのたとえ話で何を言おうとされているのでしょうか。神さまは、イエスさまを受け入れた人は例外なく天国にはいれるという1デナリを賜るということです。人は信じた瞬間に何の功績もないのに永遠の命をいただいてしまいます。入学式の直後に卒業パーティーに招かれて豪華な食事をするようなものです。これは1時間しか働かなかった人のようです。

神の恵みとは、何の苦労もしなかったにもかかわらず、信じただけで神のあらゆる良いものが与えられるという愛の行為です。ギブ&テイクではなく、言わばギブ&ギブです。信じただけで一生神さまと共に歩み、天国で永遠に神と共に楽しむことが確定しています。それなのに早朝から汗水流して働いた人々は、主人のやり方に腹を立てました。善行努力によって神さまに気に入れられようとした人々です。

これはクリスチャンにもありがちで、私たちが何ができてもできなくても、神の愛子 (あいし) であるという身分はいささかも動じません。人間の親子ですら仲が悪くても法律的に親子であることが無効になることはありません。神様との親子関係はなおさら絶対です。私たちが良きわざに励むのは、神さまの愛を得るためではなく、愛してくださっている神さまの恩に報いようとするからです。この順序は大切です。

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