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神の知恵

詩篇 119:100 2024 03 18 (月)
私は 老人たちよりも見極めができます。私があなたの戒めを守っているからです。

一般的に言って、若い人より年配の人のほうが知恵があります。それは何事につけても経験豊富だからですが、特に失敗体験には見るべきものがあります。年多ければ恥多しと言われるように、失敗の数において若い人は年配の人に遠く及びません。年配者はその点において大いに自慢できます。「弱さを誇れ」とありますから。年長者は成功談より失敗談を多く語るべきでしょう。そうする人はかえって若い人から尊敬されます。反対に成功談ばかり語る人は煙たがれます。あたかも人生に失敗がなかったかのように聞こえるからです。実際は失敗体験は話さないでいるか、都合よく忘れているかです。

とかく過去は美化されやすい傾向にあり、つい昔は良かったと言いたくなるものです。実のところ、人生の階段を五つ上って四降りるみたいなことをして来たのに、エレベーターでスーと上がって来たかのように錯覚しやすいものです。本当のところは迷いの森から出られなくなったことも忘れて。それなのに「自分の若い頃は○○だった」と言うことが出てきたら老害の始まりです。若い人たちから敬遠されることを覚悟しましょう。もうアナタの時代は終わっているのです。なにしろ三千年前のパキスタンのモヘンジョダロの遺跡に、「今の若い者はなっとらん」という落書きがあるそうです。つまりいつの時代も若い人は知恵に欠けると思われてきたわけです。

ところが聖書は違います。若い人にも老人に勝る知恵者がいると言っています。それは神を畏れ敬う人です。聖霊に自分の愚かさを補ってくださいと祈っている人です。山上の説教で言うところの「心の貧しい人」ということになるでしょう。このような人は、自分で身につけた知恵だけでなく、聖霊から知恵をいただけるので、アッと驚く解決を導くことがあります。「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」(ヤコブの手紙1:5)。

これは聖霊をいただいている人なら誰でも体験できることです。信仰の年数など関係ありません。要は愚かな私に知恵をくださいと求めるだけです。もっとも人に相談したり、自分で調べたりすることも知恵です。聖霊と自分と他者という三者で取り組むなら盤石です。また知恵の書と言われる箴言を定期的に読むことをお勧めします。31章ありますから、日めくりカレンダーのようにその日の章を読むことができます。三千年前の格言ですが、現代の生活に適用できる知恵が少なくありません。それは自分を生かすだけでなく、周りの人々をも生かすでしょう。

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