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慈悲深さ

ルカの福音書‭6‬:‭36     2023 05 24 (金)‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬ ‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬ ‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬ ‬‬‬
あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。

新約聖書の原典はギリシャ語で書かれていますが、「慈悲深い」 と訳されるギリシャ語の意味は、「優しい、共感できる、思いやりのある、機敏に反応する」です。神さまが、人に憐れみをかけるのに素早く行動する姿が見えてきます。少なくとも、もったいぶって重い腰を上げる方ではありません。

イエスさまの放蕩息子のたとえ話で、お父さん (神さまになぞらえている) が息子を迎えに走った、とありますが、中東世界では当時も今もあり得ない行動だそうです。父親はどこまでも威厳を保って緩やかに歩くのが常だと言われます。息子こそ走って行って父の前に平伏すべきです。しかし父は待てませんでした。息子が出て行った時から赦そうという思いを積み重ねてきて今日に至ったからでしょう。今になって赦そうと決断したわけではないと思います。

愛は名詞ではなく、動詞であるとも言われます。「愛は走る」とありますが、納得です。「愛は考える」でもなければ、「愛は語る」でもなく、また「愛は祈る」だけでもないでしょう。クリスチャンは一般の人が使わない魔法の言葉を持っています。それは「祈っています」です。手も足も出ず、ほんとうに祈るほかないことは少なくありません。けれども祈るほかにできる場合もあります。それを魔法の言葉で片づけるなら、慈悲深いと言えるかどうか考えどころです。さて今日は誰のために走るでしょうか。

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