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この世の真実

旦那が突然亡くなってから、生きる事とか死ぬ事とか、働く事とか、願望実現とか、宇宙とか様々な本やYouTubeや講演や経験で少しずつ分かってきた事が増えてきた。

今目の前にあるコーヒーしか飲むことは出来ない

という事に尽きる気がする。
先日、以前旦那と住んでいた場所の近くまで遠くから新幹線で友達が会いに来てくれたので、娘も一緒に連れて行った。
私はこれまで親の転勤や旦那の転勤で7回引越しを経験しているが、その状態でもこうして会おうと言ってくれる友達がいる事に本当に感謝している。学校の同窓会の案内が来ても転送される頃には引越ししてしまっているから多分私は行方不明になっているだろう。旦那が亡くなった事によって、年賀状のやりとりをしていた高校時代の友人からも会社員時代の知り合いからも連絡が来なくなった。でもそれでよかったんだ。

集合場所まで行く電車から、以前住んでいた社宅が見える。
あぁ、あそこに旦那と、中学生になった娘とまだ住んでいるパラレルもあったかもしれないんだなぁ…
とても懐かしい気持ちにはなったが、涙は出なかった。もしそのパラレルに旦那がいて、数年生きていたとしても、予約していた人間ドックに脳ドックは含まれていなかった。
また海外出張に行くとか、疫病騒ぎがあったのに業務内容を改善出来ないとか、旦那の先輩や上司に自分の考えを伝えられないとかのストレスや、私も食べ物に気をつけるとか、旦那の話を聞くとか、大切な事に気がつけなかっただろうから、きっとそのパラレルにいても旦那は私より先に死んでしまっていただろう。
そう考えると、色々な宇宙存在や、人が【人生とは「今」の連続で、宇宙には時間も空間も存在しないし、映画のフィルムの1コマ1コマをなぞっているのだから、「今」幸せを感じて、「今」幸せになれば未来のコマも幸せを感じる事が出来る】と言っている事の意味が何だか分かるような気がする。

昨日のコーヒーを今飲むことが出来ないし、3年後のコーヒーを今飲むことが出来ないように、「今」幸せを感じればいいんだ。

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