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「何のために生きてるんだろう」って、姉が言ったので。

私は今、親元を離れて東京で暮らし始めて3年目になります。(もう3年目…!)
3月に2年間住んでいた早稲田の学生寮を出て、この春東京で就職した姉と二人暮らしを始めました。

姉とはたまに喧嘩はするけれど基本的に仲良くて、今の所とてもうまくやれています。一人だと本当に辛い風邪の時にも、姉がいるから安心できる。毎日お弁当を作ってくれる優しい姉です。

お姉ちゃんはどんな人?と聞かれたら、いつも「騙されて変な壺買わされそうな良いやつ」って答えています。

そんな姉が昨日、職場から帰宅して手を洗いながらボソッと「何のために生きているんだろう」と言ってきました。


「別に死にたいわけじゃないんだけどさ。

何のために働いてるんだろうって。お金が全てじゃないのはそうなんだろうけど、仕事して帰ってご飯作って寝て仕事に行って。何してるんだろうって。全然自分幸せじゃないなあって思う。

自分が恵まれている環境にいると知っていても、だからといって幸せになれるわけではないじゃん?

自分より恵まれない人はたくさんいるけれど、
自分より恵まれている人もたくさんいる。
恵まれてるんだから、それで幸せと思えって…」


世の中にはびこるジレンマ

高い税金を納めても年金も返ってこないかもしれない。自分が守らなければならない家族もいない。先日の川崎の悍ましい事件も、決して他人事じゃあないんだと思うのが怖い。誰かを傷つけるとか、そう言う方向に行くことは絶対に良くないんだけれど、自分だって生きている意味がわからなくなってここで人生終わっても良いかもって、海にぽちゃんってありえるかもしれない。
何のために働くんだろう、何のために生きているんだろう。

そう口にした姉は、新社会人一年目、きっと新生活の疲れや、ひと段落した安心感とで色々見えて来たことがあるのだと思います。それでもやっぱり私はそう語る姉がいつも幸せであってほしい。そう心から願いたい。

五体満足で、両親教員の家庭に生まれ、緑豊かな杜の都仙台で育って、賑やかな兄弟が4人もいて、いつでも頼れる友達がいて。

それでも、いつもお姉ちゃんが言うのは、「ほんと自己肯定感が低いんだよね」って。

自分を認めてあげるって、なんて難しいんだろう。

そんなことを思っていたら、昨日soarの新着記事でこんな記事を読みました。もう5回は読んだ。笑

こうあるべき論

内科医という仕事の傍、プライベートの中間でメンタルヘルスケアに関わってきた鈴木祐介先生。soarのこの記事では、そんな鈴木先生の「頑張りすぎる自分との付き合い方」が書かれていました。

世の中には、自分の幸せに直結しない「べき」の方が多いんですよね。

鈴木先生は、自己肯定感自己効力感を紐解くことから始めています。自己肯定感は「自分は自分であって大丈夫」という感覚。「自分はできる」「他者に貢献している」というのは自己効力感であり、自己肯定感とは違うのだというのです。

自分はもっと頑張らなければダメだ、と決めつけている状態から、自分はこのままで大丈夫だと感じられる状態までは、結構な距離がある。
たった一人で、「自分は大丈夫だ!」と意識を変えられる人は稀なので、(中略)(必要なのは)とにかく存在を肯定してくれる存在です。

しかし、「べき」論を脱ぎ捨てて、その先にある自由を手にしたいと思う一方、誰かに期待されて自己効力感を高めてきた実感もある。べき論を脱ぎ捨てて、「本当は乗り越えるべき壁、応えられたはずの期待から逃げてしまわないか」そんな不安を抱くこともあると思います。そんな人は「メランコリー親和型」の傾向が強いのだと言います。「メランコリー親和型」は、ドイツの精神医学者H.テレンバッハが提唱した、うつになりやすい性格の傾向です。特徴としては、几帳面、責任感が強く完璧主義、他者を重んじるなど、相手の期待に応えようとして、つい限界まで頑張りすぎてしまう、自分にもとても厳しい性格だそう。

期待に応えたいという想いは否定しない。それでも、人はすべての他人の期待に応えていくことはできないのだから、自分のグロテスクな部分も含めて認めてくれる善き友を見つけることが大事なのだといいます。

きっと、人生も善き友を得ることがすべてだと思うんです。善き友がいれば安心できる。心安らげる足場があれば、仮に辛い出来事があっても、建て直していける。自己肯定感が低い人、つい他人の期待に応えようとしてしまう人は、まず善き友と出会えるよう、頑張ってみてほしいです。


この記事を見つけて、最初は姉にシェアしようと思っていたのに、あれ自分めちゃめちゃ共感してないか?って思ったんですね。気づいたらなんども何度も読み返していました。

自分自身、自己肯定感ではなく、自己効力感ばかり高めてきた自覚を持ってしまったんです。それでも、セルフエスティームを育てること、愛されていると感じること、愛したい相手がいること。そんなことをして生きたいなあと、優しい情熱を持てた気がしました。


「自分は自分であって大丈夫」

「あなたはあなたであって大丈夫」

そう言い合える関係をつくることが幸せになれる手がかり。

嫌な部分も醜い部分も含めて「わたしを肯定してくれる」人がいるならば、人は優しくなれるだろうと思います。
私がPIECESの理念に共感して活動している理由は、根本にそんな考えがあるからなのだなあと改めて気づけた出来事でした。

(ちょこっとお知らせ)
▼PIECESは明日5/31までクラファンに挑戦中です!

「子どもの周りに信頼できる他者を。」

いつか子どもは大人になる。このPIECESの取り組みはすべての人と人との間に優しい生態系をつくる、優しい社会をつくることなのだと思っています。


「何のために生きているんだろう」ってお姉ちゃんが言ったから。

だから私は、お姉ちゃんに
「今日盛れてるね。いいじゃん」
「今日もお弁当美味しかった。ありがとう」
「トイレットペーパー変えてくれたの?ありがとう」
ってそんなちっちゃな会話を必ず忘れずしていこうって決めてるんです。

思ったことは口に出す。言わなかったら伝わらないと思うから!


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