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二十日蝉

暑い。それが全てだ。
この時期はアイスが食べたい、出かけたくない、やりたくない、動きたくない、全てに暑い。という理由が使える時期だ。

私は夏海。なつのうみで、なつみ。とてもわかりやすい、夏が似合う名前だ。今日は友達と映画に行く。私は勿論断った。暑いから。動きたくなかったのである。でも私には今日一緒に観に行く夏子しか友達がいないのだ。いや、正確には、信用出来る人。心を開ける人。親友という言葉は何だか差別している気持ちになるので好きな言葉ではないけれど、世間一般的には親友ポジションなんだろうな。ここは一つ、断らずに乗っておくのが吉だと思う。というより、夏子には暑いから。が通用しないだけなんだけど。

「おーい夏海」
私は遠くから聞こえてくる夏子の声に聞こえないフリをする。なぜならここで反応を示せば、往来の中の注目の的になってしまうからだ。視線が自分に集まるのは何となくいやだ。だから、私は電脳世界を見つめ続けている。近くに来てから声を掛ければいいのに。
「なーにやってんの」
「別に、トイッターを見てただけ」
「人の呟きなんか観て何が楽しいんだか」
「楽しんでるわけじゃないよ。情報を得ているだけ。テレビ観てる方がよっぽど楽しさがわからない」
「テレビは楽しいでしょうに!!バラエティなんか最高よ!なんにも考えずに笑えるじゃない!」
「声がデカい」
注目の的になるかどうかなんて、些細な問題だったのかも。でもまあ、それが夏子だ。

そんなこんなで普通に映画館に着いて、普通にポップコーンを買って、普通に映画を観た。ハッキリ言ってクソだった。主人公とヒロインのカップルが、ひと夏の思い出にセミを育てる映画。勿論私はなんでもいいとは言ったけど、何故こんなにも残念な気持ちにさせられたのか理解に苦しい。
「楽しかったねー!」
「マジでいってるの?」
「え?セミ育てるのって凄くない??」
「セミを育てるカップルの神経は凄いよ」
「だよね!!」
「理解してるの?」
「でもセミって20日も生きれるもんなんだねぇ」
この映画の名前は二十日蝉。このカップルはセミを3週間ほど生かすことに成功したのだ。凄いことではあるのかもしれないけれど、やっぱり凄いと思うのは、育てようとしたカップルの神経と、それをテーマに映画を作ろうとした人の発想だと思う。

私は夏子とイタリアンレストランで夕食を済ませて夏子と別れる。帰りの電車のホームにはセミが沢山転がっている。このセミたちはどれもたった7日間の生涯だったのかと思うと、1週間前とかのことを思い返す。1週間前も夏子と映画に行った。その時も勿論断った。雨が降っていたから。心底外に出るのが面倒だった。1週間前に観た映画は、ヒーローが悪党のボスの右腕のナメクジマンを倒す、右腕編の映画だった。クソかどうかはさておき、本編を観ていなかったので、そもそも評価も出来やしなかった。夏子曰く、神作だったらしいけどそこだけは信用出来ない。

最後に観る映画にしてはとてもクソだと思ったけど、最後に会う人間が夏子で良かったと、そう思った。私は転がっているセミの死骸を拾い、少し羨みながら、空間へ駆けた。

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