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【記事紹介】note運営事務局から、トラブル解決のために多大な尽力をいただいていたことを、ここにお伝えいたします

一奥さんの騒動の顛末記。

一奥さんももう忘れたいことなのだろうけど、将来の被害者がでないために必要なことでしょう。お疲れさまです。

私もこの記事を書くたびに、他の記事のスキ数が減っていきますが(爆)、それもしかたがないです。将来の悲惨な被害者が出ないために、こういうことを経験してしまったものがそれをきっちり残していくことは義務だと思いますから。

note運営とは終始非常に良い関係でしたね。

この騒動では、法律的に有罪確定といえる人の罪は問わず、私たちが強く抗議したその態度がむしろ気に食わないという驚くべき人もいました。

これは非常に単純な思考だったので騒動の最中は無視していましたが、いい機会なので書いておきましょう。

別の記事でも書きましたが、noteには自分の身を守ることしか考えない極めて利己的な人が大勢います。

おとなしく波風立てないで、少々不愉快なことがあっても泣き寝入りを決め込んでやっていれば、自分がこういうとんでもない被害に遭うことはないという前提がここにあります。

これ自体、まさしく泣き寝入りなのですが、そういう泣き寝入り人生を歩んできた人にとっては、これもまた大切な人生の処方箋であり、我々のように当然それを「おかしなことだ!」と声を上げる人は、返ってむかつくということもあるでしょう。

おれは、私は泣き寝入り人生を頑張って歩んでいるのに、自分の主張を堂々としやがって。そういう心理的な働きがそこに見て取れます。しかし、あからさまにそれを言うのも自分の隠している本音を暴露してしまうので表向きは「noteは平和の場所なんだ」という言葉を発します。

ここにまさに、一奥さんが数々の弁護士の先生に確認したように、裁判はまだですので断定は避けますが、犯罪行為を犯したともいえる人よりも、あえて争い事になることを覚悟して「それはおかしい」と声を上げる人=私たちを煙たがる人が出てきます。

煙たがるどころか逆にそういう人は返って、「和を乱すもの」として自分のnote記事で我々を暗に非難します。暗になんですね、きちんとした批判は根性なしなので、できません。

いわく、抗議する時の言葉がきつい、人を公衆の面前でつるしあげている、平和を尊重しない。さらに臭いものには蓋をしようと我々の動きを牽制したり、犯罪相当の行為をした人間に対して心情的に肩を持つことにいたります。

ここには、重大な自己本位な身勝手な考え方があることを指摘しておきます。

つまり、こういうことです。

このような大規模なトラブルは泣き寝入り人生を頑張れば自分の身に降りかかることはない。しかし、強い言葉で非難されたり、記事にして抗議されたり、平和を尊重しない現場をまのあたりにしたり、ということは負け犬泣き寝入り人生でも気をつけていても、十分起きるかもしれない。

その自分のちっぽけな利己的な欲望を守ろうとして、普段付き合いもない人間の肩を持つ。そして、犯罪レベルの行為よりも、抗議の強い言葉、公衆の面前で記事にすること、平和を尊重しないことがもっともっと悪いことであると思い込みたがるのです。

これが、騒動の時に比較的力関係の弱い立場の人間に、一斉に利己的な人間が群がるときのパターンです。こう考えれば、なぜ犯罪よりも軽微なことに(しかも犯罪行為に対する切実な抗議なのに)目くじらを立てる平和主義者がボウフラのように湧いてくるのかが分かります。

自称弱者連合の誕生です。

この力学は、泣き寝入り人生はいやだ、と頑張っている人にとっても恐ろしいですよ。

つまりですね、noteという世界では泣き寝入りとは強いものに対する泣き寝入りではなくて、自称弱者どもの同調圧力に対する泣き寝入りになってしまうのです。

そういう利己的で見栄っ張りの弱者どもと、note運営とは明らかに態度が違っていて、さすがだと思いました。

ぜひ、顛末の報告の一つとしてご覧いただき、気をつけるべきはあなたの周りの自称弱者だということにも、目を向けていただけたらと思います。

元『THE NEW COOL NOTER賞』主催者 みこちゃん


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