【ChatGPT考察用再掲】小説と大局と生き直すこと
ChatGPTでショートショート作家卒業しよう!
■ChatGPTで長編小説が書けるようになるための大局観の重要性について
ChatGPTがみこちゃんに「こんな出だしでどおだい?」と聞いてくれたところで、前回の記事は終わりました。
その続きを書いていくとどんないいことがあるのでしょう。
ChatGPTを使うと誰でも長編小説が書けるようになります。
ただし、ChatGPTと一緒に作り上げていくには前提として「大局観」が必要になります。長編小説に耐えうる設計図のようなもの(実は似て非なるものでそこが最重要)です。
今回はその大局観について過去に記事にしてあるものを再掲いたします。
サブnoteのChatGPT使いこなしシリーズの方は、ビジネス文脈ではありますが、こちらとも関係のある記事をどんどん記事を出していますので、そちらもぜひお願い致します。こちらと共同のマガジンに収録してあります。
【以下再掲】タイトル 小説と大局と生き直すこと
こむずかしいタイトルになっちゃった(><)。
なんでかと言いますと、私のヘボ将棋修行のお供に羽生善治永世七冠の本がいっぱいあるのですが、昨日の深夜この本を読んでいたからでした。
私が小説を書く時に一番気をつけるのは、最後まで書き終わらないで投げ出しちゃうことです。こうなってしまうと作者は精神的にしんどいと思います。仮に発表しちゃっても読者も途中までの作品を読んでもカタルシスがないので、消化不良状態になってあまり楽しくありません。
作者にとっても読者にとってもあまりよくない、この未完成作品がどうして出来ちゃうかと言いますと、それは将棋指しの人の言う「大局観」というものを持たずに書き始めてしまうからだと思っています。
大局観というのは、設計図と似ているのですが実は全然違っているということに私はある時気がついたのでした。
設計図は、例えばプラモデルの組み立て方です。そのとおりやらないと完成しません。私はかつてプラモデルというものを何度も買ったことがありました。でも、自分では作りませんでした。
台湾人の友達でガンダムが大好きな人がいまして、台湾に旅行に行くときはただで宿泊させてもらうことが多かったので、そのおみやげですね。
大豪邸に住んでいまして、私はホテル代わりに個室を使わせてもらってました。もーちょーすごーい部屋なんです。映画の部屋みたいに室内に大理石の螺旋階段があって三階のロフトまで行けるし、天井には大型のシーリングファンが鷹揚にくるくる回っています。
私はあそこに行くと、自分がデヴィ夫人になってしまうのを感じます。実際に私がデヴィ夫人のモノマネをしてそのお友達と最初遊ぶというのがお約束になっています。
そんなところに泊めてもらうので、いくら天下無双のはちゃめちゃみこちゃんでも、多少の気は使います。
台湾に行く前には大阪の日本橋という、東京で言う秋葉原みたいなところに行くのです。
「みこちゃん、悪いんだけど、今度は1/100 MS-06S シャア少佐専用ザクのなんちゃらかんちゃらモデルお願い。限定版だからこっち来るまえじゃなくて、明後日発売だから買いに行ってキープしておいて。アキバも無理。みこちゃんの住んでいる大阪の日本橋の例の店なら在庫があるはず。並んで。」
とか言われてましたので、命令通り並んで買っていました@@;。
ネットで売らないのかなと思ってしまうのは素人みたいです。ネット在庫も限りがありますからね。お店で並ぶほうが手に入るということもあるようです。
そんなにガンプラは面白いかということで、ある日私も同じものを買ってみたんですが、最後まで作れませんでした。
端的に言いますと、どうしても部品が余る(!)のです( ̄▽ ̄;)。
ガンプラは私のイメージしていた接着剤というものがありませんで、プチプチ連結して組み立てるのでやり直しが効くのです。これは初心者にもいいなと思いました。
私は今も昔も多少(^^)暇なので、何回かばらして作り直したのですが、やっぱり部品は余りました。
毎回違う部品が余るので、自分の癖を見抜いて傾向と対策をとることもできず、私は悟りました。
「うん!わかった。みこちゃんはプラモに向いていない( ̄ー ̄;)」
台湾人の友達にメールで訴えたところ、返信には開口一番「まさか捨ててないよね」(爆)。
けっこう長い付き合いなので私の性格をよく見抜いていました。私は根気はある方だと思っているのですが、ある時点でぷっちーんと集中力が切れると、今度は極端に断舎離する癖(へき)があるのです。
「俺が作るから台湾来る時持ってきて」
「だって、傅さんの分あるよ」
「何度作っても面白いんだよ」
私はこういうところに興味を持つのです。
「何度作っても面白いどういうこと?」
「作るたびに自分が生まれ変わった気がするんだな」
「!!!」
これなんですよ、これ。私に欠けていたのは!
私がもし同じプラモを作るとしたら、まるで令和2年2月20日の朝日新聞を2部買って、1部最初から最後まで読んだ後、もう一回まったく同じもの読むようなものです。
当然面白くありません。さっき読んだばかりです。だから同じプラモを二度作るなんて信じられません。朝日新聞と産経新聞を読み比べるとかとは全然違いますからね。
でもガンプラマニアの傅さんには、面白いのです。
私はある確信を持って聞いてみました。
「もしかして傅さんさ、ガンプラ作る時に設計図見てないでしょ」
「当たり前だよそんなの。俺には部品の声が聞こえるんだ」
!!!
ビンゴでした。
これがつまり羽生善治さんが重視する「大局観」であると思います。
素人の人はプロの将棋指しの人は何百手も一瞬で読むのだろうなと考えてしまいますが、そんなことはやってないそうです。せいぜい十から二十手だそうです。
羽生さんは「谷川浩司さんだけは例外であの人は始まった時にほとんど最後まで組み立てているけど、あの人以外は無理」という意味のことをどっかで言ってました。
大切なのは、だいたいこんな感じの将棋を指したいなと言う「大局観」、イメージを持つことで、後は駒に勝手に動いてもらう状態が良いのです。つまりこれは、傅さんが部品の声が聞こえると言ったことと同じなのです。
何を言いたいのかもうお分かりだと思います。
小説書くのもこれなんです、まさしく。
結論は大体のイメージしか決めません。そして後はなるべく最初の方で魅力的な登場人物のキャラを造形しちゃうのです。そうすると、羽生善治さんにとっての将棋の駒、傅さんにとってのガンプラの部品、これと同じように、小説作る人にとっての登場人物が動き出すのです。
逆に設計図があると、将棋も、ガンプラも、小説もうまく完結させることができなさそうな気がします。
私が将棋がいつまでたってもへたくそなのは、そして、プラモを作ると必ず部品が余るのは、大局観を持たずに設計図に頼ろうとするからなのでしょう。
もしかすると、これはいろんなことに応用できる考え方かもしれません。例えばデート。事前にネットや雑誌で綿密な計画をたてるよりも、大局観を持って適当に自由にアレンジしたほうがなんだかいい結果が生まれそうです。
仕事ももしかしたらそうかも知れません。そして、私は子供はいませんが、もしかすると子育ても…。
将棋に勝ち続けること、プラモデルを部品が余ることなく作り上げること、小説を最後まで完結させるために必要なこと、レールを敷かずに子供の声に耳を傾けること、デート、仕事…。
人間とロボットが違うのはこういうところなのではないかな、と思いました。
今度台湾に行く前にもう一度ガンプラを作ってみようと思います。もちろん小説を書くつもりで、設計図を見ないで作ります。大局観を持ってプラモするのです。
もしかすると私のこの企てを傅さんは気に入らないかも知れません。
私が失敗したガンプラをもらえなくなるかも知れないからです。
もし成功したら、完成したものを傅さんにプレゼントすることにします。
傅さんは私が帰国した後、それを私の努力も省みることなく、バラバラにしてもう一回作り直しているかも知れません。
それはそれでいいのです、傅さんなら許す。
もしかするとね、傅さん、こういうことだと思うんだ。
私の作り上げたシャア少佐専用ザクを無残にばらして組み立て始めたその時、あなたは私の小説を読んでいるのと同じようなことをしているのかも知れない。
書いた小説を読んでもらうこと。
その喜びは完成品を眺めてもらうことじゃないからね。
私の作ったものをバラバラにして、もう一回自分の人生を生き直すことだから。
傅さんはそれを知っている人だもんね。
いつか傅さんが話してくれた、日本留学中の学校の話でも小説にしてみようかな。だれもいない教室で、また傅さんが私の小説を読んで自分の子供の頃を生き直してくれたらとてもうれしい。
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