見出し画像

日本の用水路はの歴史

ようこそ民俗学研究室へ、主任研究員の天道巳弧です
気軽に「みこ主任」と呼んでね

先日弟から「これ読んで動画作れ」とリクエストされた長文wiki
面白かったけど1時間くらいかかった

内容は用水路にまつわる病気と戦った患者・医師・多くの人々の記録なのだが
民俗学要素も含んでいたので紹介しようと思う

頑張って短くまとめたのでぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです

↓動画で観たい方はこちらをどうぞ

◆日本の用水路

用水路は農業用の上水道や工業用の水を引くために作られた水路だ

日本の用水路の歴史は弥生時代頃に稲作文化とともに伝来した
農業用水が起源と言われている

近世になると稲作技術の発展とともに各地でさかんに用水路が作られ
新しく拓いた田に水が引かれた

明治時代になると近代化に伴い工業用の水路が敷かれ、
やがては水力発電をはじめ水路は日本の近代化を支えた

ではこの用水路だが、
昭和24年から始まった用水路のコンクリート化によって
日本の歴史は大きく変わることになる

まずはその原因となったものを見ていこう

◆日本住血吸虫

日本住血吸虫は哺乳類の肝臓の門脈付近に潜む寄生虫だ

流れの穏やかな淡水に住み、
最終宿主である哺乳類が水へ手足を入れると
その皮膚を分解し侵入する

侵入した血吸虫は血管を遡り
消化器官の細い血管へと辿り着き産卵

その卵によって血管が塞がれてしまうため周囲の粘膜組織が壊死し、
壊死組織と一緒に卵が消化器官内に落ちるという寸法だ

そして成虫へと成長した吸虫が肝門脈内部に巣食いどんどん増えていく

眠くなった人、怒らないので手をあげなさい

感染するとどうなるのかというと、
まず侵入された皮膚周辺に炎症が起こる

続いて観戦後2週間くらいで起こる急性期の症状として発熱、腹痛、下痢、血便が発生
肝臓が腫れて大きくなる症状も確認されている

慢性期には肝硬変に伴う腹水、貧血、消化器障害、
それに伴い皮膚が黄色くなり手足がやせ細る
やがて食道静脈瘤の破裂、肝臓がん、てんかん、痙攣が現れて死に至る

こんなちょっと洒落にならない寄生虫、
日本を含む東アジア、東南アジアに広く生息している

別に日本の名前が付いているからと言って日本固有の病気ではない
日本が世界で最初に見つけたから付いているだけなので注意

日本では特に、山梨県の甲府盆地、福岡県・佐賀県の筑後川流域、広島県福山市が三大流行地であり、風土病として知られていた
あまりにも悲惨…

日本住血吸虫による病の歴史は天正10年、
武田勝頼に仕えた家臣の小幡 昌盛(おばた まさもり)が
腹水の溜まった状態で暇乞いをしにきたとされる記述が最古の記録だと思われる

発症するのは貧しい農民ばかりで、
富裕層には罹患・発症する者がほとんどなかったことから
小作農民の生業病、甲府盆地に生まれた人間の宿命とまで言われていた

やがて幕末になると甲府盆地の人々の間で
この奇病にちなんだ諺が生まれる

・水腫脹満 茶碗のかけら
この病に罹ると、割れた茶碗同様二度と元の状態に戻らず、役に立たない廃人になり世を去る、という意味

・夏細りに寒痩せ、たまに太れば脹満
普段の暮らしは貧しく痩せ細っているが、太るとすれば脹満(腹水)に罹った時だけ、という意味

無常さへの諦めと哀愁とやるせなさを感じる…

1874年(明治7年)、甲府盆地の宮沢村と大師村(だいしむら)の村長・西川藤三郎は
この地方病での住民全滅を避けるため離村を提案

居住地を捨てるということが許されない封建制度が続く時代だったため離村は認められなかったが、
身近な人々が次々に奇病に苦しみ死んでいく凄惨な状況に村人の村を捨てるという決意は固く、
離村陳情書を明治政府に毎年根気強く提出し続けた

その結果、三十数年後の明治末年に村の転移が聞き入れられたという過去があった

◆寄生虫の発見

医師の吉岡順作は山梨県の笛吹川支流流域に患者が多く、
その地区の川遊びをする子供たちに対しては
「きれいだからといってホタルを捕ると、腹が太鼓のように膨れて死んでしまう」
「セキレイを捕まえると腹が膨れて死ぬ」などの戒めがあることに気づいた

吉岡はそこから原因は川、あるいは水そのものだと突き止めたが
それ以上は分からず手詰まりになってしまった

そんな暗中模索な状況を一人の患者が変えることになる

1897年、吉岡の患者であった女性、杉山なかが死後の解剖を申し出た

当時は解剖はもとより手術すらも世にも恐ろしいことと思われていた時代
山梨県では初めて行われた病理解剖に周囲から57名もの医師が集まり参加したそうだ

解剖により、杉山なかの肝臓と超粘膜には変形した虫の卵の固まりを中心とする多数の細胞の塊があり、その卵の大きさは今までに発見された寄生虫のものより大きいことから新種の寄生虫であると判明した

杉山なかさんが解剖を申し出なければこの発見はもっと遅れていたので
間違いなく歴史を動かした方

そしてこの結果を知った甲府市の医師、三神三郎が自費で顕微鏡を購入し患者の便を調べると、いくつかの便から今までに見たことのない大型の虫卵を発見

1904年、現在の岡山大学医学部教授である桂田富士郎は患者の便に含まれる卵と、亡くなった患者の肝臓にある卵が同じものであると気づく

ここから桂田と三神はこの疾患の患者に下剤を使用すると虫卵が多く見つかること、また下剤を使っても卵のみで寄生虫本体が排出されないことから、
消化器官に関係する他の臓器や器官、たとえば血管内部に寄生するタイプではないかと考え、腸管と肝臓を結ぶ血管である肝門脈を疑った

解剖から7年かかりようやく本体の場所に目星がついたのだ

そして1904年5月26日、腹部が大きく膨れた三神家の猫の肝臓から約1センチほどの新種の寄生虫の死骸を見つけた

後日再度行われた猫の解剖から32体の生きた虫体を発見
後に桂田によって、日本住血吸虫と名付けられる新種の寄生虫発見の瞬間だった

何百年越しの発見になるんだろう

◆中間宿主ミヤイリガイ

日本住血吸虫が発見されたことで、ヒトへの感染経路の特定が急がれた

想定される感染経路は二つ
一つは飲料水からの経口感染説
もう一つが皮膚からの経皮感染説

寄生虫は経口感染するという寄生虫学会内の既成概念のようなものもあり、
経口感染説に多くの研究者が賛同する一方、
この病は水田や川に手足を入れると赤くかぶれる『泥かぶれ』を経て発症するというのを
農民たちは経験的に知っていた

ここ民俗学ポイント!

その後1909年に行われた動物実験、皮膚科医による自らの体を使った人体実験により
日本住血吸虫は皮膚から寄生することが証明された

農民たちが泥かぶれと呼んでいた皮膚のかぶれは、
日本住血吸虫の幼生セルカリアが
哺乳類の皮膚を食い破って侵入する際に起きる炎症だったのだ
恐ろしい…

ではそんなセルカリアはどのように成長し哺乳類に寄生するのか
それに疑問を持ったのは内科医局員であった土屋岩保(つちや いわお)だった

土屋は卵から孵化した直後の仔虫(しちゅう)ことミラシジウムをさまざまな条件で実験を繰り返したが、
ミラシジウムはどの条件でも哺乳類に寄生せず2日以内に死んでしまう

考え抜いた土屋は、
「ミラシジウムは自然界にいる動植物の何らかを中間宿主としている。
中間宿主の体内で人間の体へ感染するのに適した体へ成長するのだ」と結論を出した

土屋の後任の宮川米次は中間宿主の説を支持し、
哺乳動物に感染した直後の日本住血吸虫の幼虫の形態が
どのようなものであるのかを把握するため検証実験を行った

その結果、実験動物から採血した血液の中に
ミラシジウムとは明らかに異なる幼虫が確認された
成虫になる1つ前の段階セルカリア

この検証により日本住血吸虫のミラシジウムからセルカリアになるためには
中間宿主が必要であることが確定した
さぁどんどん真相に近づいてまいりました

そこから中間宿主探しが始まった

1913年、九州帝国大学の宮入慶之助と助手の鈴木稔(すずきみのる)が
酒井地区の用水路で小さな巻貝を見つけ、
民家の一室を借り1ヶ月の泊まり込み調査を行った

そして孵化させたミラシジウムが巻貝の体内で形態変化、
分裂し最終的にセルカリアとなって巻貝の体内から出てくることが確認された

ちなみにこの貝は種の特定ができず、
各国の論文はもとより大英博物館が発行する世界の貝の最新分類表にも記載されていない、新種の貝だった

これがミヤイリガイ

◆ミヤイリガイの撲滅

ミヤリガイは水田近くの水路、特に泥の上に生息している

日本住血吸虫は哺乳類に寄生する前にこのミヤイリガイへ寄生し成長する
人間で言うと社会に出る前の学校のような場所だ

ミヤイリガイで成長した日本住血吸虫は殻を破って水中へ飛び出し、
寄生する哺乳類を探して水中を漂うことになる

なので、日本住血吸虫を撲滅するために
ミヤイリガイを減らそうと試みられた

しかし村人が米粒ほどの大きさのミヤイリガイを箸で拾い集めたり、
地道に火炎放射器で用水路の岸を焼き払ったり、
石灰やPCPという殺買剤を使ったが撲滅にはミヤイリガイ至らなかった
生息地が広すぎたのだ

その結果撲滅できなくとも個体数を減らすために、
生息に不向きな環境をつくる方向へ舵が切られた

◆用水路の舗装

生物学者の岩田正俊はミヤイリガイが流れの穏やかな水田や川で生息する特性から、
用水路をコンクリートで舗装する案を出した

そして1948年、山梨県南アルプス市で用水路の舗装が試験的に行われた

この試みは有効で、
用水路をコンクリート化して直線化すると水の流れが速くなり、
流れの穏やかな場所に生息するミヤイリガイを減らすことができた

しかし水路コンクリート化事業は多額の財源が必要

そこで医師の小野徹は山梨県で医院を運営しながら村長職に就くなどして
地方病撲滅事業を、市町村・県・政府に重点施策とするよう説き、
用水路のコンクリート化実現を強力に推し進めた

「地方病の撲滅は中間宿主のミヤイリガイ対策であること」
「そのために大規模な溝渠コンクリート化土木事業が必要である」
と医師として村長として政治に訴えたのだ

その結果1956年にコンクリート化事業が法で整備され、
国の補助を受けながら事業が本格に始まった

そして1978年以降、新規患者は発見されなくなり
1996年2月19日、、日本住血吸虫病流行の終息を宣言した

実に115年に渡る戦いと対策の成果だった

この病に関わった全ての人に黙祷を捧げて終わりにしよう

というわけでいかがでしたでしょうか

用水路や側溝が舗装されているのは
理由と先人たちの長い長い戦いの歴史があるんだよということで

ちなみに日本以外の日本住血吸虫はまだ普通にいるので
生息地では川や池に入らないほうがいいよ

東アジアを旅行予定の人は調べてみてね

ではこの動画が面白かったらフォロー・チャンネル登録・高評価で応援お願いします!

また次回の動画で会いましょ〜!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?