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私の死にたい理由

小学生から中学生のときまで、パソコンでWebサイトを作成していた。
小説サイトふたつと、日記のサイトひとつ。
当時から私の思考のなかに「死にたい」という感情があって、日記のサイトに書いていたら、親にバレてこっぴどく叱られた。
私がその感情を抱く理由については、明確に言葉にすることがずっとできなかった。

特に荒れた人生を歩んできたわけではなかった。
どちらかというと「まじめに、着実に、しっかりと」生きてきた。
先生や上司には褒められることが多く、評価されれば心から嬉しかった。
でも、私はそれだけだった。
おもしろく、魅力的で、友達の多いひとが羨ましかった。
私にも友達はいると思っているが、どの友達にとっても私は一番の友達ではなかった。
「いい子だよね」と言われはするが、心を開いて話したら軽蔑されているような気がしてならなかった。
私はずっと性格や能力に対する自己評価が高かった。
なのに、ふと立ち止まってみると、誰も私のことなんて見ていなかった。

そこで、最近気づいたのだ。わたしの死にたい理由。

死ねば、私を見てくれる。
悲しんでくれる。
ずっとそのひとの心のなかに残る。

死んでしまったら新しい思い出は作れないし、心に残ったとしてすぐに消えてしまう。
そうわかってはいるのに。

勝手ながら、同じようなひともいるんじゃないかと思う。
これはこれで結構つらいよな。
バカみたいに何も考えないで過ごしたいよな。
もうずっと付き合ってきた感情だから、今さらどうこうできるものでもないのかもしれない。
でも、理由がわかってるだけで、その手が、足が止まることもあるだろう。

私は今日も、この感情と戦っている。
この年齢になるまで付き合うことになるとは思わなかった。
ああ。ああ。

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