見出し画像

マイ 投稿・寄稿 11

11  「彼の山」・「彼の川」 
 
 丸谷(まるや)才一(さいいち)(本名・根村才一、一九二五年~二〇一二年)は鶴岡市出身の小説家、文芸評論家、英文学者、翻訳家、随筆家。小説、評論、翻訳、随筆、対談など数多くの本を書き、芥川賞、谷崎潤一郎賞、川端康成賞、大仏次郎賞、菊池寛賞などの名だたる文学賞を総なめにしました。達人・丸谷には『山といへば川』という評論があります。古典への誘い、読書の喜びを軽妙に綴るユニークな読書案内です。「山といえば川」とは「右といえば左」と同じで、人と違うことを言うという意味で、彼は世の常識に逆い、奇想に富み、新説を立てます。『闊歩(かっぽ)する漱石』で画期的漱石論を展開し、丸谷才一全集(文藝春秋社)第九巻『夏目漱石と近代文学』「1 夏目漱石(徴兵忌避者としての夏目漱石/ ほか)」に「徴兵忌避(きひ)」「モダニズム」などの視点から漱石像を一変させた刺激的論考が所収されています。
 文部省唱歌『故郷』(ふるさと)の冒頭に「兎(うさぎ)追(お)ひし彼(か)の山(やま)小鮒(こぶな)釣(つ)りし彼(か)の川(かは)」があります。庄内には山は出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)、鳥海山、母狩山、金峰山、高館山などがあり、川は赤川、内川、青龍寺川などがあります。そして、この風光明媚で豊かな庄内平野を流れる赤川には山ほどの思い出があります。
 川に関して、英語のなぞなぞ(riddle)を一つ。
Q:”Why is the river rich?”(川はなぜ金持ち・豊かなの?)A:”Because it has two banks.”(なぜなら二つの銀行があるから)‘bank:に「土手」と「銀行」の意味があります。
 赤川はその源を山形と新潟県境の朝日山系以東岳に発し、大鳥池を経て渓谷を流れ、鶴岡市落合で梵字川が合流。庄内平野を北へ貫流し、内川、大山川などの支川が合流し、酒田市南部の庄内砂丘を切り開いた赤川放水路から日本海に注ぐ一級河川で、庄内平野を豊かにしています。その名の由来は諸説あり、湯殿山霊場に供える浄水の意味の閼伽(あか)の流出した所から付けられたという。また垢川ともいい、水源が霊山出口の門口にあたり、登拝者が垢を落して清める所ともいわれています。
 出羽三山や鳥海山を望む赤川のほとりで生まれ育ち、癒しを与えてくれた赤川には思い出が多い。春の土手桜、プールがない時代に鉄橋のピアからの飛び込み水泳、小魚やカニ採り、夏の赤川花火大会、秋の芋煮会、冬の土手でスキー直下降、心身を鍛えるジョギングコース、結婚のプロポーズ場所。。。。私の「天の川」でもあります。
 英語のなぞなぞをもう一つ。
Q:“Everyone knows it is a beautiful way, but no one has ever taken the way. What is it?”(誰でも知っているきれいな川(道)だけど、誰も泳いだ(通った)事のない川は?)A:”It’s a milky way.“(天の川)
 また、内川は、古くから市民の川として親しまれ、丸谷才一に「文章の名手」と評価された藤沢周平の小説に登場する「五間川」のモデルの川といわれています。藤沢周平(本名小菅(こすげ)留(とめ)治(じ)、一九二七年~一九九七年)は鶴岡市出身の小説家。1実家は農家で、幼少期から手伝いを通して農作業に関わった経験から後年農村を舞台にした小説や農業をめぐる随筆を多く発表。江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残しています。特に、架空の海坂(うなさか)藩(はん)」を舞台にした作品群が有名。農家に生まれ、剣道三段である私は彼の作品を愛読しています。
 連作短編集『橋ものがたり』はじめ、「海坂藩」に必ず登場する風物に川とそれに架かる橋があります。城下の真中には「五間川」が流れ、東にも西にも大小の川があります、内川に架かる最も古い大泉橋は小説『秘太刀馬の骨』には「千鳥橋」と洒落た名前で登場います。主人公が渡っているのは内川のあの橋だろうか、などと想像するのも楽しみの一つです。
 内川にはさまざまな橋がかけられ、その中の一つ、朱塗りの「三(み)雪(ゆき)橋(ばし)」は、金峯山・鳥海山・月山の三山を美しく見ることができたことから命名され、この場所は小京都を思わせる絶景です。昔は屋台があり、桜の季節に夜桜を楽しみ酒盛りをした思い出があります。8月の旧盆には“幽玄な夏の風物詩”灯籠流しも行われます。 
 「人生とは思い出作り」と思うこの頃。楽しい、辛い、悲しい思い出、記憶に残る思い出が脳裏によみがえります。
              (『鶴岡タイムス』2023年6月15日号掲載)
 *ご購読ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?