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やめる練習が全然できていなかった話

今月、いくつかの習いごとをやめました。
数年間続けていましたが、成果を感じられず。
「やめる」という行動に移してみて気がつけたことがあったので書き残しておきます。


3年以上続けていた習いごとでした。
ずっと続けていてもいつも出来ていないことの注意ばかり受ける。
自分の努力が足りないからいつまでもレベルが上がらない、という思いがありました。
たまたま、なかなか成長できないことを人に話したところ、指導法への違和感を指摘されました。
「高いレベルを求められても、そのレベルまでいっていなければ、それはあなたには合っていないんじゃないかな」
それは、心の奥底では自分も感じていたことでした。
でも、表面には出てこなかった。
なぜだろう、と考えてみました。
すると、ああ、これは自己肯定感が低いことの表れだ、と気づきました。
自己肯定感が低いから、うまくいかないことを自分の責任にしてしまっていたのです。
指導法が自分に合っていないことがわかったら、今までのレッスンで感じていたもやもやが、合わないものを続けていることへの苦痛だった、とわかりました。


自分って我慢強いな、ということにも気がつきました。
これはもうひとつの習いごとについてです。
何かを始めたら、自分なりの達成感を持てないとやめられないような気についついなっていました。
続けるかどうか迷っていたら、他の人から「私は、これ以上上手くなるための努力は望んでいないからやめる」と言われてはっとしました。
自分に厳しく高みを望みがちだけれど、自分が本当にやりたい努力以外はする必要、全くないんですね。
こうしなければいけない、という気持ちもやっぱり自己肯定感の低さからきている。


きっと自分には、頑張ること以上に、心をゆるめて、自分の本当の声に気がつくことが必要なんだ、とこの経験から学ぶことができました。
そのために大切なのは、人との接点、いろいろな人の考え方に触れることだなあと実感しています。
楽しみ方もやりたいことのゴール設定も、自分本位で考えていきたい、そんな方向性も見えてきた、貴重な経験でした。









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