タイトルなし
暴力からは暴力しか生まない。
「人を傷つけてはいけません」
「人のものを盗んではいけません」
「友達とは仲良くしよう」
「相手の気持ちを考えよう」
「嘘をつくのはやめよう」
保育園や幼稚園〜小学生の期間に教えられること。
人の気持ちを考え、優しさを学ぶ道徳の授業。
私は日本人だから世界の授業がどうなっているのかわからないけど
きっと皆、学校や家族から学ぶ。
しかし何故か忘れてしまう大人がいる。
自分たちの都合で人を傷つける。
自分たちの都合で人を死なせる。
確かに生きていれば人を傷つけないようにするのは無理だ。
みんな違う価値観を持って産まれ、全人類に好かれることはできない。
人は二分の一の確率で差別を受けるし、誰かと深い関係へ進めば進むほど相手の嫌なところや自分との違いが浮き彫りになり、傷つけ、傷つけられる。
相手の気持ちを常に考え、他人の軸で生きていたら疲れてしまうし、そこに残るのは相手にとって’’気持ちのいい’’人でしかなく、自分ではない。
自分で生きながら、他者のことを想い、大切にするということはとても面倒で難しいことなのかもしれない。
そして面倒くさいは何にでも勝つ。
皆、違う。って面倒くさい。
面倒くさい。面倒くさい。
だから。そうだ、わかりやすくしよう。
そうだな、まずは肌。
白人、黒人、アジア人。
ほら少しわかりやすくなった。
じゃあ次は…セクシャリティってややこしいな。よし、シンプルにしよ。
男性、女性。
異性だから恋仲になれる。これなら体の作りでだいたいわかるし。男は女に惹かれ、女は男に惹かれる。よしよしこれならわかりやすいな。
更にシンプルになった。
最後はそうだな。見た目かな。
痩せている、太っている、背が小さい、高い。。。
さあ、果たしてこれはシンプルなのか?
この世界に、人間に、無かったはずの壁を作り、同じ人間に枠を設けたのがどこの誰なのかは知らない。多分気づいたらそうなっていたんだと思う。
でも本当にいらないことだと思う。いらなかったことだと思う。
何十年、何百年、肌の色で揉め、違う人を差別してるの?何度、セクシャリティについて議論してるの?答えは出たの?どの国でも同性婚出来るようになったの?
もういい。複雑にしているのは当事者たちではない。
当事者を囲む周りだ。当事者が望むのは理解でも共感でもきっとない。
ただ自分らしく生きていきたい。幸せになりたいっていう皆が思っていることだと思う。
SNSが普及した現代。
自分らしく生きていこう、個性を光らせよう。
と謳ってる一方で他人の生き方に干渉する、なんとも不思議な時代。
拳をあげる人々は自分のことだけしか考えていないように見えて
実は他人のことを想っているから実に厄介。
世界平和の近道は自分平和を考えることから始まるのかもしれない。
(実際、自分が楽しければ、周りも楽しい。っていうことあるし)
でもそれは決して利己的になるということではない。
というまあ複雑で言葉に起こすことが難しい。
人は人を傷つける。それは避けられないこと。
でも、関係のない人たちを不安にさせ、関係のない人たちが悪者扱いされ、関係のない地球を傷つけ、死にゆく人々と綺麗な自然。このことは避けられることだと思う。
何度戦争して、何万人、何億人という関係のない、罪のない尊い命を粗末にしていま何が残ったの?なにを学んだの?
実に愚かで、進歩がないことに対して嫌悪感を感じる。
悲しい。なんの悲しみなのかはわからない。
行ったこともない国。会ったことない人たち。
でも
行くかもしれない国。これから共に笑いあうかもしれなかった人たち。
悲しみだけでなく、怒りもある。
でも、怒っても無駄なのはわかりきってる。
怒りには怒りしか出てこない。それはもう歴史が証明しているはずだ。
これからもこの報道は続くだろう。
こっちのメディアは面白おかしく伝えるだろう。
そして我々は気づかぬうちにモニターされ
エゴが膨らみ、不安と恐怖が煽られる。
「もしかしたら…」という闇に引きずられ
明るい未来が見えなくなる。
人を想いやる心が次第に薄れ、想像力が消える。
そしてこの星から愛が消えたとき、人類やもしかしたら地球も終わるだろう。
そうはさせない。させてはいけない。
だってこの星は、宇宙は愛で出来てるから。
私はこの星が好きだから。好きな人たちがいるから。
まだ会えてない大切な人がいるから。
綺麗な場所、素敵な生き物と共存してるから。
地球や宇宙は我々、人間だけのものじゃない。様々な生命で溢れている。それらが存在してるから人間は生きれてる。地球や自然に生かされてる。それは決して忘れてはいけない。
もう何度も言ってるけど、愛しか勝たん!のよ。
<「悪い狼と良い狼、勝つのはどっち?」「私が餌をあげたほう」>
ー最後にー
’’いま’’について書くべきなのか、私がそこに対して何か言う意味があるのか。私自身もメディアとかと変わらずエンタメとしてこの件を消費しているだけなんじゃないか、自分の想いをわざわざ外気に出し、晒す必要はあるのかを考えてました。
でも、書きました。意味はないけど。偽善者なのかもしれない、陰謀論者なのかもしれないけど。書くことを決めました。自分自身にも必要なことだと思ったから。
相変わらずの拙い文章でしたがここまで読んでくださった方々ありがとう。
そしてウクライナ国民の方々、ロシア国民の方々に一秒でも早くいつもの毎日が来ることを心から祈っているのと共にこの出来事で亡くなってしまった方々、ご遺族の方に心よりお悔やみ申し上げます。