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営み 拡張描画

メリークリスマス。三日坊主です。
きっとこの記事は24日にギリギリ間に合っていることでしょう。

(この記事の写真に問題がありそうでしたら言っていただけるとありがたいです~)

この記事は”VRChatワールド探索部 Advent Calendar 2022”に登録されています。
https://adventar.org/calendars/7882


昨年に引き続き、ワールド探索部のアドベントカレンダーは面白いですね。
それぞれの個性で展開される記事は大変良いです。


ボクはワールドを訪れて行われる営みの中で好きなことの話をします。

営み


VRChatでは、ユーザーがVRの空間(ワールド)をつくり、自由にアップロードし、実際にそこ空間に入り込むことができます。

ワールドにはつくった人のつくりたかったものが反映されます。
いわゆるゲームを主とするワールド、居心地の良さを追求したワールド、リアルであることを追求したワールド、ファンタジーであることを追求したワールド、物語があるワールド、VRでの音と光のパフォーマンスを体験できるワールド、などなど、
分類分けできるワールドもあれば、できないワールドもあります。

その一つ一つに人の意思と意志が宿り、大小様々な願いがあるワールドができていることは素晴らしいことです。

そして、そのワールドに人や存在が入り込み、人や存在の営みが行われています。
1人でワールドに訪れるのも良いですし、誰かと一緒に行くのもいい。誰かがいるところにふらっと訪れるのもいいですね。

私もワールドをつくったりしていますが、自分のワールドに誰かが訪れていたり、そこでの写真がTwitterにあがっているのを見ると嬉しくなります


この営みには、人の数だけ営みがあると思います。旅行として訪れたり、アトラクションとして楽しみにいったり、買い物に出かけたり、写真を撮りにいったり、のんびりすごしたり、眠ったり、演劇を見に行ったり、音楽を聴きにいったり、音楽を奏でにいったり…
人の営みとして思いつくことは行われていると思います。

そして、このワールドを訪れる人の営みの中で、特に好きなことがあります。

それは、自分が持ち込んだものをワールド内で展開する。という行為です。

例えば、お祭りのワールドがあったとして、そこに浴衣を着ていったり、りんご飴を持ち込んだり、そこには無い屋台を持ち込んだりとそういったこと。

ワールドに持ち込めるものの大きさ、種類は基本的になんでもありです。(もちろん推奨されている範囲はあります)
例えば、以下の写真のような感じです。(それぞれの一枚目の写真と二枚目の写真は大体同じロケーションで撮ってます。)


World : katawaredoki
World Additional Objects author : mikka-bouzu


World : cocoon-05
World Additional Objects author : phi16


World : Deep Blue
World Additional Objects author : mikka-bouzu

なんだか楽しいですよね。
ワールドに合わせてそこに訪れた人がなにかを展開する。
その営みが好きだなぁと思っています。

因みに、ボクのこの営みに対する原体験は、初めてつくったワールドであるkotonokiでの出来事です。

初めてワールドをつくって、そもそもVRChatを初めて右も左も分からなかった時に、ブタジエンさんという方がワールドに遊びに来てくれました。
ボクはブタジエンさんの空飛ぶホウキを見てVRChatに行きたいなと思ったし、ブタジエンさんのワールドづくりの動画を見てワールドをつくったりしていたので、憧れの対象でした。めちゃめちゃ感動したことを覚えています。

軽く挨拶を済ませたあと、ブタジエンさんがおもろむろに、「ここなら合うかも」とおっしゃって、両手を宙に掲げました。

そうすると、ブタジエンさんの手から桜の花びらが突如現れ、空間を満たし始めます。ブタジエンさんの手の動きと連動して、桜の花びらも舞う…kotonokiという自分のワールドで…

その時、VRってこういうことなんだ、と強く思ったことを覚えています。
人という変数が持ち込んだ美学がそのまま空間を満たし、書き換えることができる。
なんて素晴らしい場所なんだと。

それから、ボクもアバターに色々と仕込んで、色んなワールドに行っては、迷惑にならないように(なってたようにも思う)展開していたりしました。
自分でもやっていくうちに、そのワールドに"合う"という感覚が分かってきた気がします。
どこでもなんでも出せるが、どこでもなんでも出すことがいいことではないんだなと、美学を伴った変化を空間に与えることで、良さが出るんだなと悟りました。


kotonokiに火の文字のパーティクルを展開しているとき

どこかこの営みはAR(Augmented Reality)的だなぁと思ったりします。
ワールドを現実とした時に、その上に何かを展開する感じが。
ARでコンテンツをつくるとき、ロケーション型のものとノンロケーション型に分けられることがあります。
特にロケーション型の場合、現実の空間の何を拡張しようとしてコンテンツを展開するか、が大事だなぁと最近思います。
対象は小さいものから大きいものまで、有形、無形、様々なものがあり、複雑に絡み合っています。
それを紐解きながら何を出すことを選択するか、もしくは選択しないかが大切なのかなぁと(当たり前ですが、)
クジラくんが空を飛んでいる姿をよく見かけますが、何か文脈があって飛んでいるとなお良いと思います。

その場所の歴史、文化、景観、何かイベントをしているところに展開するのなら、そのイベントにまつわるものなど、当たり前なことですが当たり前をちゃんとするとより楽しいですね。

また、我々がワールドで観測していることと、人や存在がもたらす変化はVRChatというプラットフォームにおいて情報の劣化が少なくやり取りすることができると思います。(ユーザーはVRChatという"界"の支配下にあり、情報のやり取りはその界の解像度に依存する)

これによって、実質的な空間の書き換えが可能になっていると思います。

それがいいですよね〜。
物理側のARだと、まだフィルター、のようなものを挟んだ世界を見ているという感じですが、VRでのAR?だとちゃんと全てを書き換えている。楽しいですね。

ボクが体験してきたVRChatでは、GHOSTCLUBの通称河クと呼ばれるイベントに訪れたとき、この営みを強く感じました。写真からだと、どこからがワールドのものでどこからが人が持ち込んだものか分かりませんが、現地でも割と分からなかったです。多くの人が多くのをものを持ち込んでいたので急に景色が変わったり、ある人がインスタンスから抜けたらモノや現象が消えたり。とても幻想的な日でした。

良い…
良い…
良い…

そもそもですが、人という存在はその空間でのAR的なものというか、そんな感じがしています。人間が観測できるレイヤーでの視点が人の数ほど増えて、人そのものも他者から見たレイヤーの一部になる。物理側だとそのことは知覚しにくい感じがしますが、VR側だとわかりやすい気がしています。他者がいるときのワールドと、他者がいないときのワールドは空間的に違いますよね。そのワールドに存在しなかったものが描画され、場合によっては存在しなかった音が聞こえる。

また、VRChatだといわゆるアバターが人として扱われていると思います。かわいい女の子のアバターやかっこいい男の子アバター、ゆるいキャラクターのアバターや"木"か"消火器"など物っぽいアバターなど、他にもたくさんのアバターがあります。
このアバターはどこからがアバターでどこからがアバターじゃ無くなるんでしょうね。お祭り用のワールドに持って行った浴衣や頭につけているお面はアバターの一部な気もします。ですが、アバターに仕込んでいる出店のオブジェクトはアバターとは切り離されている気もします。ものに接していることで判断しているのでしょうか?意図通り動かせていることで判断しているのでしょうか?それともその人にまつわる全てがアバターなのでしょうか?まぁ、なんでもいい気はします。

人がそのワールドを認識し、そのワールドの概念を理解し、営みを行う。その営みの中では、ワールドそのものへの書き換えを行うことができる。その行為で更にワールドを別の概念としても理解することができる。人の数だけそのワールドは調節される可能性がある。なんて楽しいんでしょうか。
ボクたちは、ボクたちがその場所に存在するだけで、その空間を上書きしていると思います。空間があり、営みがある。そこに自分の存在の延長や、オブジェクトを出現させることで、さらに世界を拡張させることができる。

やがて物理もバーチャルも一つになる時がきて、世界生み、さらに拡張していける時代がはやく来てくれることを楽しみにしています。

ただ、VRChatのワールドと物理世界とで違うのは、空間が個人、もしくは団体への紐付きが強く、作品と公共空間としての比率が作品ごとに異なる部分が基本的に大きいと思うので、他者の作品に絵の具を塗ることに近いかもしれないと自覚した方がいいなぁとは思います。
まぁ、それを言うと、物理側のARの方も建物をつくった人や会社があったり、土地を持つ人がいたり、オーナーさんがいたりとするのでややこしい部分はあったりしますが…(このあたり、今後どうなっていくか気になっています。できれば自由な方に行ってほしいですね)

ですので、こういった行為の写真は基本的にSNSで共有されにくいのかなと思っています。その写真を見た人は、そのワールドに訪れるとその景色が見られると思ってしまう可能性が高いからです。なかなかこういった写真を見る機会は少ないのですが、私は好きです。

皆さんも自分に何かを仕込んでワールドを巡ってみるのも楽しいかもしれません。あなたの見た世界が書き換わり、その様子を見てさらに感じ方を変える。
でも!その行為はもしかするとそのワールドをつくった人の願いに泥を塗っちゃうかもしれませんので用法容量を守って営んでください。
もし、楽しいことが起きましたらぜひボクに教えて欲しいなぁと思います。TwitterのDMでこっそり教えてください。お待ちしております。

あ、あと、そういうイベント待ってます。展開せざるを得なかったと言われるようなイベント、待ってます。

こんなん見たい、やりたい

それでは、これをもってボクの除夜の鐘としたいと思います。良いお年を。

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