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【ウェディングノベル】怒りのち笑い

※個人情報保護の観点から、小説中に登場する固有名詞は架空のものに変えています。小説はご本人の許可を得た上で掲載しております。

◎たかし
◆2021年2月
「いい加減今年のクリスマスイブは一緒にいてやらんからな!」ノブさんは空になったジョッキをテーブルに置くとそう言った。
 会社の創業期からのビジネスパートナーであり親友でもある、ノブさん、ゆっちと酒を飲んでいた。バーの店内は薄暗く、ジャズ風の音楽が流れている。
「えー、一緒にいてくださいよ~!」俺は哀願した。
 というのも、クリスマスイブは俺にとってただのクリスマスイブではない。
俺の誕生日でもあるのだ。世のくりぼっちとは訳が違う。クリスマスにひとりで過ごす寂しさと、誕生日にひとりで過ごす寂しさが、足し合わさって同時に訪れる。その寂しさには、364日間、様々な経験をしながら積み上げていった喜びという感情の塔を、1日にして粉砕するほどの力がある。
「ぜったいにいーやだね!」ノブさんはにかっと笑った。
 30代も後半戦に入ると、周りの仲間たちから結婚のプレッシャーをかけられることが増えた。もちろん結婚願望はあった。けれど動画制作会社の経営者という立場として、事業を大きくするためにはそれだけ時間を投下する必要があった。2013年に創立した会社も8年目となり、従業員も増えて大事な局面を迎えていることは認識していたので、「人生において今は会社を頑張る時だ」と割り切って、結婚の考えは完全に排除していた。
 その甲斐もあってか、会社はある程度安定するようになった。時間的にも気持ち的にも余裕が生まれ始めていた、ちょうどそんなタイミングでのノブさんの一言だった。
 結婚か—。
 ノブさんにお尻を叩かれた俺は、婚活を始めることにした。
 
◎はるみ
◆2021年6月
 今日は、婚活アプリで繋がったたかしという人物に会うことになっている。たかしと名乗る人物から私のプロフィールに「いいね」がつき、ダイレクトメッセージで何回かやり取りした末、飲みに行くことになったのだ。
 ただ、私にはひとつ懸念があった。
 この人は怪しい人ではないだろうか―。
婚活アプリには色んな目的をもった男女が登録している。ピュアな出会いを求める正当な使い方をしている人もいれば、肉体関係を求めるだけの人、金銭が絡んだ怪しいビジネスを持ちかけてくる人もいる。プロフィール画像と全然違う人がデート当日に訪れる場合もある。
私はたかしと名乗る人物との待ち合わせ場所に向かう前に、『ダイニングハル』というお店に立ち寄った。というのも、ダイレクトメッセージでこんなやり取りがあったからだ。
「よく街で飲みに行くんですよね?どのあたりのお店行くんですか?」と私。
「ダイニングハルはよく行きますね」と即答するたかし。
「ダイニングハル!?私もめちゃ行きます!あそこいいですよね!」と、『ダイニングハル』の魅力を知っている人に出会い興奮する私。
 ちょうど飲みに行く約束をしたお店の通り道に『ダイニングハル』があったので、たかしが実在する人物なのか、実在する場合どのような人物なのか、情報を裏どりする目的で訪れることにしたのだ。
「たかしって人、知ってます?」
「おーたかしくん、よく知ってるよ!とても良い人だよ!」店主のタケさんは自信たっぷりにそう言った。
 ひとまずは安心した。そして少しだけ期待が高まった。

*

 一足先にお店に着いた私は、水を飲みながらたかしの到着を待った。
 きんと冷えた水を口の中に含んでじっとしていると、体温の影響を受けた水は次第に生温くなり、私の体の温度と同調していく。
 ごくり。
 水は異物としてではなく、私を生かす大切な一部となって違和感なく体の内側に吸い込まれていく。
 優しい甘味がすっと口の中に広がった。

「うーん、おいしい!」母は嬉しそうに味噌汁をほおばった。
「ほんとに!?」
「ほんとだよ!」その言葉を聞いて私は飛び跳ねた。
「また今後作ってあげる!」
 小学1年生のとき、私は人生で初めて料理をした。
味噌汁だ。
今の私にとっては簡単に作れるシンプルな料理だけど、初めて料理をする当時の私にとってはあまりにも難しい作業だった。
怖さを抑え込んでガスコンロに火をつけ、初めて触る包丁にどきどきしながら、母の助けを借りて豆腐を賽の目切りし、熱湯に手を触れないよう慎重に具材を鍋の中に入れる。味噌の分量を間違えないように何度も味見を重ね、ようやくようやく完成した。
それを、家族みんなが「おいしい!」と言いながら喜んで食べてくれた。
 私の料理で周りの人たちがこんなにも笑顔になってくれるんだ―。
 7歳で料理人の夢を持った私はその時から変わらず、料理人としての道を歩いてきた。調理師の専門学校を卒業後、結婚式場でフランス料理全般を担当した。そこで3年働いて辞めた後も、料理の腕を磨くために何店舗もレストランを掛け持ちして夜遅くまで働いた。
 そして、30歳の夏―。
 野菜を美味しく食べられる自然食カフェを市内にオープンするようになった。様々な苦労はありつつも、毎日夢に向かって一歩ずつ前進している。

 お店の扉が開くと、ひとりの男性が店内に入ってきた。
 金髪で小柄で小太りで少しおっさん気のある男性は、私に向かって歩いてくると、軽くはにかんで「はるみさんですか?たかしといいます」と会釈した。
 そうだった。今日は婚活アプリで知り合ったたかしという人物と会うことになっていたのだった。
「はい、はるみといいます」そう私は言いながら、マッチングアプリに登録されていたたかしのプロフィール画像を思い返していた。
 プロフィール画像のたかしは黒髪でもっとシュっとした見た目をしていたはずだ。
「全然プロフィール画像と違うじゃん!」と心の中で爆笑しながら「たしかに良い人そうではありますね」とタケさんに告げた私は、グラスに手を伸ばし、水を飲んだ。

*

 私たちは2件目のお店—『ダイニングハル』にいた。
 1件目ではお互い経営者ということで仕事の話題が中心だったが、たかしは全ての話にテンポよくついてきて、自身の経験談も踏まえて的確なアドバイスをくれた。
外見は全くタイプでなかったけれど、ノリが良く、楽しく、優しく、そして、とても頭が良い人だと感じた。話していてとても楽しかったので、2人が大好きな『ダイニングハル』で続けて飲むことにしたのだ。
 その時には初対面であることを忘れるくらい、打ち解けた雰囲気で色んな話ができるようになっていた。
 どういう流れか、行ってみたい場所の話題になった。
「琵琶湖とか行ってみたいですね!ビワマスとか食べてみたいです!あと、私、お城が好きだから、あのあたりのお城も巡ってみたいんですよねー!」
 たかしはインスタで「琵琶湖」を検索している。「へー、きれいな場所ですね!」
「ですよね!」私は相槌を打つ。
「来週とかでいいですか?」
 私は「人生で一度は行ってみたい場所」という意味で「琵琶湖」を挙げたのだが、たかしは「次のデートで行きたい場所」という意味で受け取ったらしい。
 認識のずれを修正するのも面倒だった。というよりは、私としてもたかしと過ごす時間は楽しく、そして心地よかったので、その勘違いはむしろありがたかった。
「来週で大丈夫です!」
 私たちは2回目のデートで琵琶湖に行くことになった。

◎たかし
◆2021年6月
「ねえ、あっち見て!」
「無理です」
 俺は琵琶湖バレイロープウェイのゴンドラの中でぎゅっと縮こまっていた。
何を隠そう。俺は極度の高所恐怖症なのだ。
 もしロープウェイが故障してゴンドラが山谷に落ちてしまったらどうしよう…?
 自分がとても高い不安定な場所にいるという事実を忘れようと、窓の外の景色ではなく、ゴンドラの部品をじっと見つめる。
「そんなところ見てないで、あっち見て!景色いいですよ!」そう言ってはるみさんは笑いながら、ゴンドラが登ってきた側の景色を見ている。
「無理です」
「そんなに怖いの?手を握りましょうか?」
「それは恥ずかしいから大丈夫です」
 俺もいい歳した男、しかも会社を率いる経営者だ。恐怖をぐっと喉奥にしまって平然さを装うこともできた。けれど、飾ることはしたくなかった。こんなことで失望されてしまうなら、一生一緒に生活することなどできないと思ったからだ。だから、ありのままの姿を見せた。
 はるみさんは俺の姿に一切引かず、多少からかいながらも気を遣ってくれた。
 この人とならきっと素の自分でい続けられるだろうし、ずっと笑って過ごせるだろうな―。
 ゴンドラ地獄から解放されると恐怖の妄想は退き、そんな前向きな考えが脳の中に流れ込んできた。

 俺たちは山頂で琵琶湖の風景を存分に楽しんだ後、安土城跡地を見て回った。
 安土城跡地でもはるみさんはとても楽しそうだった。
「どうしてお城が好きなの?」と聞いてみたところ、崩れた石垣を見て「ここで激しい戦いがあったのかなー」とか、城から外の景色を眺めて「数百年前の殿様は同じ景色をどんな気持ちで見ていたんだろう」とか考え、ロマンを感じて興奮するらしい。そんな感受性が豊かなところにも魅力を感じた。
 その後、俺たちは夜ご飯にビワマスを食べることになっていた。ビワマスは初対面のとき、はるみさんが食べたいと言っていたものだ。俺は事前にビワマスの美味しいお店を調べ、コース料理を予約していた。
 滋賀の豊かな自然の恵みを取り入れた料理はどれも本当に美味しかった。だが...。
「ビワマスは...?」
「あっ、ありませんでしたね」
 俺は肝心のビワマスを含まないコースを予約してしまっていた。
「なんでビワマス食べたいって伝えてたのに、ビワマスが入ってないコースにしたんですか!」と真っ当な突っ込みを受けながら、俺たちは手を叩いて笑った。

*

 俺たちはまだ2回しか会っていないことが信じられないくらい、意気投合していた。
 だから帰りの車内で告白しようとも思ったけれど、彼女の誕生日がちょうど1週間後に迫っていたこともあり、誕生日に告白することにした。その方がもっとロマンチックで思い出にも残るだろうと思ったからだ。
「また来週会いましょう」
「楽しかったです。家まで送ってくれてありがとうございます」そう律儀にお辞儀をして去っていく彼女を見届けた後、俺はカバンに手を伸ばし、ひとつの封筒を取り出した。「今日の交通費」として彼女から受け取っていたものだ。
 封筒を開ける。
 そこには、多すぎず少なすぎず、ちょうどいい金額の交通費が入っていた。
 もう1つ、短い手紙が入っていた。「この前は楽しかったです。ありがとうございます」
とてもしっかりした人だ―。
彼女に対する気持ちがますます高まった。
アクセルを少し強く踏んでしまった車は、ぶんっと音を立てて動き出した。

◎はるみ
◆2021年10月~
私の誕生日―2021年7月1日に彼からの告白を受け、交際、そして10月からは半同棲生活が始まった。一人暮らしする彼の家に、私が週の半分くらい泊まりに行くスタイルだった。
誕生日当日、「きっと告白されるだろう」という予感はあった。彼も緊張していたのだろう。シャツの前後が逆で登場したときには、笑いを通り越して「さすが、たかしさんは期待を裏切りません」と、日本中の全ての人たちに自慢したい気持ちだった。
 ただ、いざ一緒に暮らしてみると大変なことも多かった。
 当時はコロナウイルスが県内で急拡大している時期であり、ひとりで飲食店を切り盛りしている私にとって、コロナへの感染は死活問題だった。
 ただお店を一定期間閉じるだけならまだしも、ある種一般的な病気となった今と違い、当時のコロナは人類にとって得体の知れない脅威。もし罹ってしまえば風評被害でお店もずっと続けられるかも分からない。だから周りの人たちが気を付けるおそらく何十倍も、コロナに罹らないように注意していたのだ。
 そんな私の立場や気持ちを彼は分かってくれているのだろうか。「気を付けているから大丈夫」を決まり文句に、もちろん感染対策をしているのは知っていたけれど、変わらず出張に行ったし、変わらず会食に参加した。
 ある日、こんなことがあった。
 当時は県内での感染者数も爆発的に増えていて、まん延防止等重点措置が発令されていた時期だった。にもかかわらず、彼は県内とはいえ仕事仲間と旅行に行ったのだ。
「ねえ、どうしてみんなで我慢して感染を抑えようとしている時に、あなたは自分が楽しむことしか考えられないの?もしそれで感染しちゃって、身近な人にうつして死なせてしまったりしたら責任とれるの?」
「気をつけて行くから大丈夫だって」
 人の立場や気持ちに想像が及ばない彼の幼さに憤った私は、しばらく彼と会わないことにした。

◎たかし
 一人きりの部屋でソファに横たわり、天井をぼーっと見つめていると、彼女から言われた一言が、脳の中で何度も鳴り響く。
 自分が楽しむことしか考えていない―。
 正直なところ、最初はその言葉の意味がよく分からなかった。
 これまでの人生を振り返ると、自分が助けになることがわずかでもあれば困っている人を積極的に助けようとしてきたし、そのこと自体に喜びも感じてきた。
 彼女が泊まりに来る時にはできる限り彼女の家まで車で迎えに行ってあげたし、彼女が行きたがっていた場所にはできる限りデートで一緒に行った。経営している動画制作会社でも、自分たちが作りたい映像を作るのではなく、お客様の魅力を徹底的に理解し、その魅力を最大限引き出す映像を制作することに使命感を持って取り組んできた。
 しかし、彼女から言われた一言を繰り返し考える中で、それらの行ないが独りよがりなものに思えてきた。
 相手の立場や気持ちを最優先に考えることはできていなかったんだな―。
 俺はその晩、自分が行きついた結論を電話で彼女に説明し、謝った。
 彼女は真剣にその話を聞いていた。

 その翌日―。
 仕事を終えた俺は、いつも通り誰もいない家に戻り、暗いリビングルームの電気をつけた。
「わあ!!」
「わあ!!!!」心臓が止まるかと思った。暗い部屋で身を潜めていた彼女がバッと現れ、驚かせてきたのだ。思わず尻もちをついてしまい、どすんっと大きな音が部屋中に響いた。俺は下の階に住む人に申し訳ない気持ちになって、「ごめんなさい!!」と大きな声で謝った。
 彼女との約3週間ぶりの再会―。。
「ちょっと、心臓に悪いよ...」
「もう次はないからね!」
「うん。少しずつかもだけど、もっとはるみの立場や気持ちを考えるように努力します」俺たちは仲直りし、その夜、遅くまで晩酌をしながらお互いの考え方を共有した。

*

◆2022年7月1日
 あの夜、「彼女の気持ちをもっと考える」と決心してから、彼女がどれだけ俺のことを思ってくれているのか、それまで分からなかったことがたくさん分かるようになった。
 相手の幸せを願うなら、蜂蜜のように甘い言葉だけでなく、よもぎのように苦い言葉も時には語らなければならない。彼女からは耳が痛いことを言われることも多かったけれど、それは俺のことを真実に思ってくれているからだと気づいたのだ。
 その気づきは彼女がしてくれていることに気づけなかった申し訳なさを生み、その申し訳なさは彼女を理解する努力を後押しし、その努力は彼女を愛おしく思う気持ちを育てた。
 そして、その気持ちはもう心の中だけにじっと留めておくことができなかった。
 その愛を伝えたい。
 2022年7月1日—彼女の31歳の誕生日、付き合ってから1周年の記念日にプロポーズすることに決めた。

 その日は、彼女がずっと行きたかった鉄板焼き屋で夜ごはんを食べた。
 お店でプロポーズすることも考えたけれど、「彼女はきっと周りの目を気にするだろうな」と思い、家に帰ってからプロポーズすることに決めていた。
 美味しい鉄板料理に舌鼓を打った俺たちは車で帰宅し、ソファに腰を掛けた。
 そこで俺は用意していたフォトブックをおもむろに取り出した。
「誕生日おめでとう。これまでの思い出をフォトブックにしたよ」俺の誕生日に彼女からフォトブックをプレゼントとして貰っていたので、それに対するお返しとして準備していた。
「わあ!ありがとう」
 彼女はページをめくり、嬉しそうに写真とそこに書かれた文字を読んでいる。
 またページをめくる。「ねえ...」
「どうした?」泣きたいなら泣いてもいいぞ。
「なんで空白なの?」
 フォトブックを覗くと、2ページ目が空白になっていた。しまった。2ページ目の存在に気づかず、写真を貼り付け忘れていた。
「ごめん、気づかなかった!」断じて言うが、これは狙っていない。
 彼女の指が続けてページをめくる。
 最後のページまでいったとき、彼女が突然叫んだ。「うわぁー!!」
 そこには、俺の写真に吹き出しをつけて、「俺と結婚してくれませんか?」という文字を手書きで書いておいた。
 俺は彼女の方を向き、用意していたプリザーブドフラワーをすかさず差し出す。2人とも金属アレルギーで指輪をつけられないので、彼女が好きなお花を選んだ。
「愛しています。俺と結婚してください」
 一瞬の沈黙が流れる。
 脇がじっと汗ばんでいる。
「ねえ...」
「どうした?」
「...字、汚すぎ!しかもこのゴリラみたいな顔、何なの?」
 怒られた。彼女を笑わせようと思って、俺の変顔写真を貼っていたのだが、どうやら彼女の気持ちを読み間違えていたようだ。彼女の気持ちを考える挑戦はしばらく続きそうだ。
「ごめん!!」
 俺たちは、笑った。げらげらと笑った。
 これからも、笑顔の絶えない明るい家庭を作っていこう―。
そう心に誓い、俺たちは抱き合った。

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