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風さんの表現の先には相手がいるのだなぁと思った話

アーティスト藤井風さんの「帰ろう」を聴いて、優しい世界に包み込まれた感覚があったので、それを言葉にしてみる


優しさってどこから生まれるのだろう

先日、公開されたANN NEWS インタビューにて、この曲について込められた思いを、自身の死生観と交えてお話しされていた。


誰かがちょっといい気分で人生送れたりするために
音楽やっとるようなもんなんで
もうそれがわしにとってすべて
もうそれだけで生きていけます。

インタビューの内の藤井風さんの言葉の一部。

そして、自身のアルバム名について、このように話していた。


藤井風さんが作る曲やカバーする歌はどれも独創的で自分の好きな表現をしているのだと感じていたのだけど、風さんの表現の先には相手がいるんだなぁ...ということを今回改めて強く感じた。
優しさは相手を想うことで生まれていくのかな。


私自身の体験を振り返ると、
私は「これしたら自分は優遇されるかな、良い立ち位置にいけるかな」とか、過剰に考えて動いて、勝手に生きづらさを感じちゃうことが時々ある。
(もちろんそういう感情も含め自分の要素として受け入れていきたいと思ってるが)
これは、相手を想っているように見えて、自分がどのくらい得をするのかを考えているのだ。

逆に日々の記録、絵や、作る空間で、誰かが見えてる世界が少しでも豊かになったら嬉しいなぁ〜と考えてる時は、純粋な楽しさを感じる。
そして、「あなたが作る空間ってほっこりするね」とか、「あなたが日々生み出すものが好きです」と言われると本当に嬉しい。

私は、出来るだけ後者の考え方で相手と嬉しい関係を築いていきたい思っている。


ゆたかな足跡を残していく

ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たず帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの

「帰ろう」の中で、私がとても好きな歌詞の一部。


日々の記録、絵、作る空間、日々の人との関わりなど、これらは私にとって"足跡"という感覚がある。
良い作品が作れた時、豊かな人間関係が生まれた時、足跡にお花が咲いていくというイメージ。

生きている間に出来るだけ豊かな足跡を残していきたいなぁ。改めてそう思った。

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