クラブ。その忘れられない男の様な憎いあん畜生な存在。
クラブ。
ある時期から言われ始めた語尾上げのクラブ↑ではなく
語尾下げの、所謂女性が接待してくれる店と同じ発音だった。クラブ↓
絶対そうだったのです90年初頭。
私は1988上京組で、最初はクラブカルチャーなんて知らなかったから、音楽を浴びるために、まずはホコ天に向かった。
なんか違った。
学生時代の同級生とディスコに行った。
もっともっと違った。
ラママとか行ったけどやっぱり違う。
私が、ピタっときたライブハウスはその名も渋谷クラブクアトロだった。
今思えば100パー、ライブハウスなのだけど、コンセプトはクラブだったらしい。カウンターでチケットとお酒を交換出来るスタイルを早々やったライブハウスでもある。
そう、ちょっと金田サカエより年下の私は、ピテカンもツバキハウスも第3倉庫も知らなかった。
クラブデビューは1990頃の、下北沢zoo。
フリッパーズの2人も回すという話しで初体験した。
そこからオールナイトのdjイベントへ行ったが、川崎クラブチッタや下北沢SHELTERなどで、結局ライブハウスだったりした。
zooの次へ行ったクラブ的なとこは渋谷のdj bar inksticで、確か小西さんや小山田君が回すイベントだったと思う。
ここでは、宅八郎や小西さん繋がりで細川フーミンの歌う姿も見たし、
満里奈ちゃんと小沢君がお客さんで来てた姿も見た。
その後は、子どもが小さい時期の数年を除いて何かと行っていたように思う。東京だとyellow、ゴールド、三宿web、90年代後半だと、田中知之さんやコーザノストラの事務所で少し働いてた兼ね合いで、中目黒の家具屋さんや、BAR青山の近くの、あ…名前忘れたけど、色々あった。
そして2010代は初めて渋谷のオルガンバーや、新宿OTO、もう、書ききれないけど、なんせ色々行った…
自分がなんでクラブやDJBARのような空間が好きだったのか。
それは、自由で、純粋にレコードが好きな人達が集ってる感じが、たまらなく
階段を登る瞬間、降りる瞬間、
エレベーターを出た瞬間。
その扉を開けると、何か新しい世界へ連れ出してってくれるようなトキメキを感じてしまうから。
そして、お酒片手にタバコ吸いながら、
それ風にユラユラ揺れ、好きな音楽を爆音で聞いてると、
めんどくさいことも飛んでっちゃう位にベースラインに乗っておーどりましょ、と歌いだしたくなる世界。
それが私にとってのクラブの世界なのです。
こんなコロナのご時世だし、すっかりタバコは悪で、分煙もしくは禁煙だろうけど。
本当に楽しかったよ。
また、たまにはなんかDJバー的なとこに遊びに行こうっと。
うふふ。