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#俺たちの山崎怜奈 永遠に

皆様こんばんは。

ついにこの日が来ちゃいましたね。

卒業発表してから卒業する日まで時間が全然なくて正直未だに卒業を実感しきっていない自分もいますし、なんならまたどこかで会えたりお話する機会があるのかなって確信のような何かを感じるから。

怜奈を知ってから2年以上の時が経ったと思います。当時の自分は社会人になった途端こんな世界になっちゃったからただ、家と仕事場を行ったり来たりして、たまにおいしいものを買ってきて食べるみたいな生活だった。
最初の方はオンラインで繋がって友達と会えていたが、次第に落ち着いていきマンネリ化してきた頃も私は仕事上まだリアルで会って喋ったり遊んだりすることができなかったので、次第にオンラインでの交流も減り、友達を失っていったような感覚を覚えていた。また、大好きだったAAAも活動休止(実質的には解散だろう)になったタイミングであったのもあり推しに飢えていた中でたまたま乃木坂のTwitterをフォローし始めた。そのタイミングで怜奈と出会って、怜奈が話してるラジオが聴きたくて、radikoプレミアムに入った。

そこから初めてミーグリした時も変に気を使ってしまったりとか自分の言葉をうまく使えなくて困らせてないかと思ってミーグリに行くのが怖かった時期があった。

ミーグリで変なこと言っちゃったかな。。。とか不安が募る日々。これに関してはいまだにずっと話す度に反省会開いてるレベルなので一生治んないです。


 それでも選抜発表とか何かがある度にこの人の力になりたいなと感じるようにもなったし、他の怜奈推しの方の力も強かったのかなと感じる。多分1人で推すには勇気がいったけど、みんなが応援してたから自分も応援しようって気にもなれた気がする。

卒業発表された日は仕事中で想像はしてたけど、こんななんだなと感じた。まあ、仕事の方が大変で感情をどこに持っていけば分からず無理矢理空元気で乗り切った。もうアイドルである山崎怜奈に会えないし、生で彼女に会うことができない悲しみを抱きしめながら。

でも、#乃木坂ラジオほぼ全ジャック があった時の、明るい怜奈を聴いて、また多分どこかで会えると感じた。あの機会を作って下さったスタッフ様には感謝しかない。それに怜奈にはスタッフからほんとに愛されてるんだなと感じてすごく嬉しかった瞬間でした。

これからは25歳の女性 山崎怜奈として生きていくわけだけど、私も同い年として一緒にこの世知辛くて自分が思っているよりも優しい世界で生きていきたいと感じたからこれからは怜奈って呼ばせてもらいたいから怜奈って呼ぶことにしました。

これからもよろしくね。ずっと味方だからね。


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