カナダに来てから成長したねと言われるのはナゼか

人は大人になってからでも歳をとっても、どんどん成長できるというのが私の持論です。

もちろん、勉強したり、新しい事を始めたりする事での成長はありますし、この成長は分かりやすいと思います。

ではもう少し深く見てみて、精神面での成長はどうでしょうか。

大人になると性格なんて変わらない、価値観は固定するなどと言われたりもします。でも果たしてこれは事実でしょうか?

私は自分の経験からこれは事実ではないと信じています。そこで、私の経験を例として共有できたらと思い今日のnoteを書いてみます。

私が日本にいた時によく言っていたことは、「普通ならこうだよね」「普通こうしないよね」でした。

普通あの歳であんな服着ないよね。普通なら仕事終わりでこれやっとくよね。普通の人ならわかるでしょ。

自分も普通でありたい、周りからはみ出したくない、普通とされることを私もするべきだ、と変なプレッシャーを感じていました。

私は未婚で娘を産みました。未婚で子供を産むことは当時日本では珍しく、いわゆる普通からは遠い存在になったと自分の中で無意識に思ったのかもしれません。その時から少しずつ自分の中の何かが変わっていきました。

以前の勤め先から海外へ研修に出してもらったり、カナダへ来て看護師として働くことに決めたのも、私の周りでは多数の人がやっていることではありませんでした。未婚でシングルマザーになるという事実が、自分の制限を取り払ってきたように思います。

それでもまだ普通信仰からは抜けきれていませんでした。

この普通が普通がという状態から徐々に抜け出してこれたのは、カナダに来て色々な人たちと関わってきたからです。

カナダは移民の国、様々な国から来た色々な背景のある人たちからコミュニティが成り立っています。

人を傷つけない、他人には敬意を払う、などの人として最低限の振る舞いはありますが、大多数の人に当てはまる普通があまり存在しないのではないかと思うのです。

人によって普通が違いすぎるから、万人に共通する普通が存在できないのかもしれません。

インド出身の友達にとっては、待ち合わせ時間に遅れていく事が普通。ルーマニア人の友人にとっては、会ったときにハグして頬にキスが普通。インド出身やフィリピン出身の多くのクラスメートにとっては、アルバイトして学費を稼ぐのが普通、自分の国に仕送りをするのが普通、永住権のためなら州をまたいで動くのは普通。韓国やインド出身の友達にとっては離婚はしないのが普通。カナダの多くの人にとってはシングルペアレンツがいる事は普通。

これだけ人によって、また文化によって異なる普通があるんです。

日本で言われる、女性なら30歳くらいになったら結婚して家庭を持ち子供を作る、などという普通は、こちらにもない事はないのですが、思っていても仲良くない限り表には出さない人が多いと思います。

日本ではよくされる、何歳なのか、結婚しないのか、子供を産まないのか、というような個人の選択によるものに対する質問は滅多にありません。批判してこうすべきだという押し付けはもってのほか。

インターネット上で見かける、普通ならあの体型でピタッとしたレギンスなんて履けない、肌なんて見せない、メイクアップしないと外に出れないなどの余計なお世話なコメント。日本ならではの普通も、探せば沢山出てきそうです。 

ここまで人によりけりの色々な普通を書いてきましたが、要は、他人を私の普通に当てはめる事は出来ないのです。そして、暗黙のルールや世間では普通と考えられていることも、私には当てはまらないこともあります。

世の中で普通と考えられていることや自分が普通だと考える物差しに、自分を当てはめたり他人を当てはめる事に、そもそも無理があると気付いたでしょうか。

この事実に気付いてから他人を見る目が少し変わりました。また、外から見た自分を気にし他人の期待に沿った態度を取らなければという思いを改めました。

元々違う国出身の人は文化的背景も違うため、比較的スムーズに違いを受け入れることができました。それに加え日本人に対しても、考えの違いをそのまま受け入れたり、他人の態度や行いに対して自分を基本にしてジャッジする事をやめるよう心がけるようにしました。

違いを受け入れるということは理解することとは異なると私は捉えています。理解するのが難しい違いも世の中には沢山あるため、自分の意見や価値観と合わなくても、それはそれで良しとしています。

また、違う意見を聞いたり、自分と違う価値観を持った人と話してみたりすることも自分の視野を広げるのに役立つ事があると学びました。

どう成長したかを一言にすると、単純な言葉にはなってしまいますが、視野が広がったという事になるかと思います。

昔はとても狭い視野で自分の周りの事や物を見ていたのでしょう。

視野を広く持つなんて当たり前じゃないかと考える人も多いとは思いますが、私にとってこの思考の変化は大きな成長をもたらしました。

他人に寛大になり、忍耐強くなり、一つの側面だけで人を判断しなくなり、予想しなかった出来事や他人の行動にも、一歩下がって全体を見るようになりました。

母親や妹にもカナダに行ってから随分成長したねと言われます。

大人になっても、歳をとっても、精神的にまだまだ成長出来ます。自分の価値観を変えることもできるのです。

普通ならこうなのにと否定的に考えるより、この人はこんな素敵な考えを持っているんだ、似合った服装をしていて輝いているな、そういうふうに考えたり行動しても良いんだな、もしかしたら自分の思慮が浅かったかも、良い勉強の機会になった、などと前向きにとらえられる方が人生は遥かに楽しいと私は思っています。

私が現在経験している、違う事が当たり前である、一つの側面だけでしかない普通を人に押し付けず、そのプレッシャーから自分自身が逃れる事のできる、他人に対して寛容な社会。これを日本でも経験することができ、多くの人がもう少し気楽に暮らせるようになることを願いつつ、ここで今回のnoteを終わらせていただきます。

ダラダラと書いてきた文をここまで読んで頂き、ありがとうございました。





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