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ラグビーの「アマチュアリズム」がもたらしたもの

2019/8/28(水)、横浜のラグビーダイナー 7outh's(セブンオウス)で開催されたトークライブ。ゲストは、J Sports のラグビー解説でおなじみの、ラグビー博士・小林深緑郎さんと、元ラグビーマガジン編集長・村上晃一さんでした。

ラグビーワールドカップ日本代表の話は別のノート(文末参照)として、ここでは、アルゼンチンチームの話から、ラグビーアマチュアリズムの話を。

アルゼンチンはなぜ「強国」と言われないのか

前回ワールドカップではベスト4、スーパーラグビー2018ではアルゼンチン代表メンバを中心とした「ジャガーズ」が準優勝を果たすなど、今やラグビー強国、いわゆる Tier1 のアルゼンチン。
ですが、一般的な世界ラグビーのイメージでは決して「強国」ではないでしょう。むしろ、サッカー王国として有名で「ラグビーやっていたんだ」くらいの感覚かもしれません。

それには過去の国際ラグビー評議会の「アマチュア宣言」に関わる「アマチュアリズム」としての経緯があったそうです。

「アマチュア宣言」下のアルゼンチン代表

アルゼンチンには昔から国内にプレーをするリーグがあったのもの、豊かではないアルゼンチンでラグビーで食べていくことは難しい時代がありました。世界に通用するトップ選手は、よりよい待遇、より高い給料をもとめて欧州のラグビーチームに所属する選択をしました。当日のアルゼンチンのラグビー協会は、「海外のチームに所属した選手は”プロ”とみなす」として、国の代表として戦うことを認めませんでした。
その結果、国のために戦いたいと思うものの、アルゼンチン代表になれないトップ選手が多く生まれました。一方で、アルゼンチン代表は(ヨーロッパなどから声がかからない)トップ選手を除いたメンバで構成されることとなりました。

1995年IRBの「アマチュア宣言」が撤廃され、プロ選手が国の代表として戦うことが許されて以降、アルゼンチン代表には海外でプレーする選手が、国代表として合流して選手層が厚くなりました。

さらに、1995年以降の強化策として、南半球のザ・チャンピオンシップへの参戦、海外遠征の増加、スーパーラグビーのジャガーズ参戦など国を挙げての施策があり、今のアルゼンチン代表の強さになりました。

「アマチュア宣言」は悪だったのか

アルゼンチンが強国になれなかった原因の1つである「アマチュア宣言」とその対応ですが、「”アマチュア宣言”は決して悪いことばかりでもなかった」と村上さんは語ります。
「アマチュア宣言」とは、ラグビーユニオン(日本でラグビーといえば、15人制のラグビーユニオンを指す)が掲げてきた哲学。ラグビーは、「ラグビーで報酬をもらわない」アマチュアリズムを通してきました。

同じフットボール生まれのサッカーなど早くから(哲学ができる前に)プロ化したスポーツでは、選手が自分の地位・収入を守るために、「けがを大げさにアピールする」「故意に相手の反則を誘発する(悪く言うと、当たり屋的に)」「審判に従わない」などが行われてきました。
ラグビーでは、あまり見かけません。それは、アマチュアスポーツであり、紳士の交流の場として文化が醸成されたからこそであり、世界的に哲学が根付いたからこそです。だから、1995年の「アマチュア宣言」撤廃以降、世界的にプロ化をしても「守るべきラグビーの文化」として根付いています。

「ラグビーは紳士のスポーツ」とよばれるのは、アマチュア宣言下において、ラグビーが誇る紳士的な姿勢や精神が守られてきたから、といえるでしょう。

(おまけ)
前半のトークの日本代表について語ったのは、以下のノートでお楽しみください。

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