守りたいこと

最近ある人を傷付けてしまった。
意図的に傷付けようとした行為なら納得できる。
でも実際は全くの逆で、感謝を伝えるために投稿したSNSがキッカケだった。

先日ボランティアに参加したのですが、傷付けてしまった相手はそのボランティア活動の発起人。
子供達を含め『人を喜ばせたい』というミッション(ビジョン)に共感して参加した。
でも僕は「自分が幸せでなければ、人を幸せにするなんて出来ない」と思っている。
偽善でも出来るのだが、ボランティア活動を続けるには持続可能性(Sustainability)が必要だと思い、意識している。
自分が苦にならない行動が人の役に立っていればラッキー。
言い換えると、自分の正直さの後ろにボランティア活動があるという事。

準備段階で発起人がこの活動に対してのクラウドファンディングを立ち上げた。
これこそ僕の想いと合致していると思い、苦にならない範囲で支援した。
この時点で僕はこのボランティア活動に参加出来ている、と言える。
これ以上は望まない。

そんなことを思っていたある日、同じボランティアに参加することを決めた別の人から誘いを受けた。
聴けば、ボランティア活動の中にとある企画があり一緒にしませんか、との事。
やった事ないので、単純にやってみたい!と思った。
そしてそのおかげでボランティア活動が俄然楽しくなった。
その企画だけでなく荷物運びや些細な事も楽しくなった。
その上、普段見ることのない数の笑顔やありがとうという言葉も貰えた。
まるでその企画が僕にとっての変身ベルトのように思えた。
もちろんボランティアに参加した他の人も同じように感謝していたり、それぞれの変身ベルトを持ったはず。
でも飽くまで自分は自分、他の人の真意はわからないので、SNSでは『主観的』に楽しかったと強調した。
最初は何をしてよいかもわからなかったので乗り気じゃなかった、との想いも正直に書いた。
でも僕にとっての変身ベルトが見つかり、本当に楽しかった。
ありがとうと感謝の意もしっかりと書き、発起人を喜ばせたく投稿した。

その結果。
あなた一人のための変身ベルト企画ではありません。
失礼です。投稿を削除してください。と言われた。

人を差し置いて自分の利益を追求するマキャベリスト扱いされっちゃった。
傷付ける意図もなかったし、勘違いさせてしまった自分が悪かった。
ごめんなさい、とも伝えた。
でも全然伝わってなさそう。

落ち度はわかるだろうと思って分かりにくく書いた自分せい。

人に伝えるのは難しく、勘違いを生みやすいから分かりやすい表現を意識する。

そして忘れちゃいけない。
絶対に他人のせいにして人の悪口を言わないこと。
悪口と自慢話すると人徳が付かないとYouTube大学で中田あっちゃんが教えてくれた。
この事だけは守りたい。

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