見出し画像

Chapter.0 UMAの恋人たち(4085文字)

 これから、ちょこちょこと恋愛について語っていく。なぜかというと、齢30にして、とうとう恋愛に興味がわいてきたからである。
 といっても、私は他人の恋愛をあれこれ言えるような立場ではない。だからとりあえずは、一番よく知っている自分の話から始めよう。なお、これは前書きみたいなものである。

 恋人ができたのが、かなり遅かった。

 これは、私個人にとってはなんら不幸なことではなかった。が、他愛ない会話という、人間社会における高度なグルーミング文化においてはしばしば緊張や苦笑いの種になる。

「小池さんさあ、初めて男性とお付き合いしたのはいくつの時?」

 初めて知り合った人にこのような質問をされると、ほんの一瞬だが体の動きが止まる。脳の中で、シナプスたちがガサ入れにあったブラック企業法務部の如く慌てるのである。
 こういう質問が想定している答えは、16歳とか17歳とかせいぜいその辺りだ。しかしこちらで用意できる答えはそれとはかけ離れている。

「いやあそれがそのう、28のときです」

 ティーンネイジャーどころではない。ぶっちぎりのアラウンドサーティーである。私は現在30歳だから、28歳なんてほとんどついこのあいだ、ごく最近のことだと言っても過言ではない。もちろん、その最近つかまえた恋人とは現在も一緒にいる。
 中高生の時の甘酸っぱ苦い恋の話というのは、「昨日見た夢」の話くらい罪のない話題だ。話しかけてきた向こうも、「大昔の恋バナを肴に、他愛なく無難に盛り上がろう」と思っていたに違いない。それがまさかの現在進行形。まだよく見知っていない相手の、直近のプライベート話にはからずも短刀を直入したということになる。これは、会話を円滑に進める導入としてグッドなものではない。
 初カレ入手はレベル28のとき、と聞いた相手はたいてい驚きのけぞる。
「えーっ、そんな風に見えない」
 ダントツで多い反応がこれである。そんな風に見えない。これは私にとっての恋愛紀元前、つまり恋人がまだいなかった時代にも、耳のタコが爆発し、そこから若き日のシュワルツェネッガーが重火器を背負って走り出てくるくらい聞いた台詞だ。これに対して私は、「へ、へ、へ!」とドストエフスキーの小説風に卑しい笑いを返すしかない。
 この後の会話もだいたいテンプレートができあがっている。ほとんどコピペだ。

「うそー、機会がなかったわけじゃないでしょう。理想が高かったんですか?」
「いや、普通にモテなかっただけです」
「ええー、気づかなかっただけですよー」

 書きながら、これまで繰り返しなぞってきた数多の世界線のことを想う。数十億もの鼓動の数さえ、彼らにはまたたきほどの些細な等級なのだ。
 28歳になるまで恋愛経験がなかった——結婚平均年齢が飛躍的に上がり、「若者の恋愛離れ」が叫ばれる昨今においても、これはやっぱり「変わったこと」扱いされるようだ。恋愛経験というか、まあこの場合はニュアンスとして「性体験」が先に立つ。「28歳まで、一度もセックスの機会がなかったなんて変わってる」というわけだ。私は元来あまり突出したところのない人間だが、この部分に関しての評価に異は唱えない。

 これについて考えるときいつも私の頭をよぎるのが、1996年に発売されたアダルトビデオ『欲情列島宅配便 私の処女を破りに来てっ!』だ。この馬鹿はいきなり何を言い出すんだと思われるかもしれないが、決して卑猥な話をしたいわけではないので誤解しないでほしい。
 この作品は、今三十代~四十代のネット民なら聞いたことがあるだろうネットスラング、「飛影はそんなこと言わない」の元ネタである。内容は、28歳まで男性経験のなかった素人のオタク女性を、アダルトビデオの撮影クルーが脱処女させるというもの。その様子がドキュメンタリーとしてあまりにも生々しく、精神的グロテスクさに満ちているため一種のトラウマコンテンツとして有名だ(検索・閲覧の際は気をつけてください。性別問わず)。
 で、これのオープニング映像に、ばばーんと「28歳処女は実在した!?」というテキストが大写しになる。アダルトコンテンツ特有のはっちゃけ具合、および90年代特有の下劣なマスコミノリが融合するとこういうことになるのだ。そして28歳処女というのは、コンテンツ業界においてはUMAのごとき扱いをされるような存在なのである。
 このオープニングを見たとき、なんとも言えない、奇妙な孤独を感じた。私はまぎれもなく、実在を確認されたこのUMA女の一人だった。私はネス湖の底で小魚をかじる哀しきネッシーであり、ロッキー山脈をジョギングする寂しいビッグフットだったのだ。

 2年前に、このUMAとしての心境をブログに書き綴ったことがある。思うままに書いたら、合計6000字もの長文になった。
 それはたしか、こんなような内容だった。

 28歳にして誰とも付き合ったことがなく、セックスをしたこともない——この状況自体から、私が受ける直接的なダメージはほとんどない。しかし、そのことを打ち明けた途端、外部からの反応が、私の心を摩耗させるものに変わることがしばしばある。それは年齢を重ねるごとに重くなっていくようである。
 特にセックスに関しては、「したことがないやつは半人前だ」という見方が世間には根強い。そうした反応を受ける度、私はいくつもの感情を抱く。
 たとえば、「自分は、無自覚なだけで、人生において何か重大な取りこぼしをしているのではないか」という不安。あるいは、「そうだ、私は本当は寂しくて半人前で哀れな女なのだ」という無力感。もしくは、「うるせえ、ぶっ殺すぞ」という反発心。
 私はこれらの負の感情を統合できないまま、どれを捨てることもできないまま生きている。私にできることは、どれだけ摩耗させられようともこの生を、少しでも前へ前へと進めることだけなのだ——。

 ——このブログ記事を書いた直後に私はとある男性と知り合い、その三ヶ月後には交際に至った。人生わからんものである。
 
 彼氏のいないまま30歳をすぎるかもな、と思っていた。別に構わなかった。私は彼氏より家族が欲しかったので、30代半ばくらいにもなったら、私と同じような非モテ属性のバツイチ男性あたりと穏やかな友情結婚をしよう、などと勝手な予定を立てていたくらいである。その予定というか妄想がガラガラと崩れ去り、その代わりに目の前に生身の男性が出現したのだ。びっくりした。
 ちなみにその男性には、知り合った直後に先述のブログ記事を読まれ、「精神的露出狂だね」と評された。人生のこともわからないが、精神的露出狂のUMAを恋人にしてしまった、露出狂でない人の気持ちもまたわからない。

 かくして、実在する28歳処女の私は、実在する28歳非処女の女となった。彼氏がいて処女膜のない、現代社会において比較的ポピュラーとされるタイプのXYになったのである。じゃあ、私はネス湖の底で苔をはむのを止めたのか?
 答えは否である。私は今でも頻繁に、UMA的精神をそのまんま生きていることを痛感させられる。
 それはたとえば、冒頭にあげた「初めて付き合ったのはいつ?」というような質問をされたときであり、「モテてきたでしょう」という世辞を言われるときであり、十代のころの未熟な、あまりにも不格好だった他者への思慕の記憶をたどるときであり、横で眠っている恋人の耳の穴を眺めているときである。
 自分の恋愛的関わりについて考えるとき、私はいつもUMAになる。

 こんな人間が、恋愛について語るなんておこがましいというのが、つい最近までの自己評価だった。
 私はライター業の傍らコミックエッセイストとしても活動している。そのため恋人ができた時に、何人かの編集者からすぐさま「それをネタにすればいい」と勧められた。でも、それはやらないでおこうと思っていた。「こうやったら恋人ができた」という話自体はただの一発ネタだし、恋愛の本質について語っていくには私の経験が根本的に浅すぎる。
 ……と思っていたのだが、UMA的恋愛話も意外と社会貢献になるのではないか、と30になる頃から感じ始めた。
 その価値はおそらく、「実在」を知らせることにあるのだろう。山田詠美の100分の1ほどの恋愛経験さえなくても、それでも自分なりに誠意を持って恋と愛に向き合い、1メートルでも深く自分の中を掘り下げようとジタバタしている人間がいるということを。思えば私も高校生の頃から、そういう読み物を求めていた気がする。

 小池こと30歳のUMAは、この一年半というもの、恋愛について真剣に考えてきたつもりだ。恋は水色かもしれないが、やはり愛は闘争なのだ。心の中では、常に「マッドマックス~怒りのデスロード」の絶叫OK3D上映が繰り返されている。私はいかなる時も映画の登場人物であり、観客である。キャラたちは映画のストーリーから逃げないし、私も客席から出ようとはしない。双方そこに居座り続け、恋愛の悲喜こもごもを噛み締め、味わい、爆破させては再構築し続けている。
 その繰り返しの中で、私はおそろしくたくさんのことを学んだ。その学びはいまだ整理しきれていないが、いくつか確信していることがある。
 たとえば、いかなる意味合いにおいても、人間は一人で生きていくしかないのだということ。
 恋愛の苦しみの99%は、どれだけ「これは相手の問題だ」と思っていても、実は自分を相手取った苦しみだということ。
 人と深く関わる中で見つける宝は、その後同じ人間関係の中でどれだけ傷つこうとも絶対に失われないのだということなど。
 要約してしまえば、無数にある恋愛指南書に書かれていることと完全に同じだ。私の話から導き出される結論に、奇抜なものはないだろうと予想している。でも、その同じようなことを、私も言ってみたい。

 28歳処女は実在する。そして実在を暴かれた後もそこに居続け、何かしらオリジナルの形で自分を広げていっている。
 これは、その広がりについて、広げ方についてのメモだ。自分をUMAみたいに感じるどこかの誰かや、UMAみたいな恋人を持つどこかの誰かに読まれたらいいなと思う。その誰かさんたちや私が読みたいものは、結論のみではないと確信しているのだ。

読んでくださりありがとうございました。「これからも頑張れよ。そして何か書けよ」と思っていただけましたら嬉しいです。応援として頂いたサポートは、一円も無駄にせず使わせていただきます。