200507 蛾を読む

 自分の喋り方がだらしなくなっているのが気になる。通話やZOOMだと、話す内容さえ相手に伝われば良いと思うところがあり、悪い意味でパフォーマティブな要素が抜けてしまうのかもしれない。前々からそうだが最近一層「唇でしゃべる」感じになっている気がしてとても嫌だ。もっと顔全体で喋りたいのである。
 演劇をやっていた頃のようにはいかないかもしれないが、せめてもの抵抗にと、午前中に妹がでかけたすきを見計らって文学の朗読をした。うんと感情を込めて、うんと美しい日本語を口にしたかったのだ。そういう機会が、この生活だとなかなかない。きれいな言葉を口にするときは相手との利害関係を前提に計算してものを言っているときだし、感情をこめて何かを言うときは言葉自体はいい加減なものになってしまう。
 なんとなく室生犀星がいいなと思い付き、青空文庫で、読んだことのない短編「蛾」を選んだ。読んでからわかったが幻想小説だった。夫の四十九日を終えたら、その夫が家に帰ってくるという出だしだ。むかし気まぐれでシナリオセンターに通っていたとき、課題として同じような導入の脚本を書いたことがあったのを思い出す(比べられるものではないけど)。
 5分ほど「蛾」を朗読したらとても気持ちがよかった。書き散らしではない、きれいに組み立てられた日本語を自分の口で読み上げていくと、「これこそが言葉だ」という実感で嬉しくなる。ツイッターで、Slackで、LINEで、普段どれだけ自分が適当な言葉づかいをしているかが改めてよくわかった。
 数年前にボイトレに通い、そのあとラジオをやってみたことが功を奏してか、ゆっくりめかつ一定のスピードでものを読む、ということはわりとすんなりできた。面白かったので、これからも度々やってみたい。
 
 そして今日は5時半起きだった。連休中も会社仕事はあったので、特に休み明けという感覚はない。退勤後はすぐさま作業を変えて、無事に漫画の原稿を提出した。ネームの構想に一週間、作画に一週間というルーティンが定着してきた感がある。
 日記を書かないでいたこの10日には恐ろしくいろんなことがあった。それらについてはまだまだ当面書けそうにない。

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