駆逐と牛歩とライター業

 急に家の中にコバエが発生して、そのイライラでかなり情動リソースを持っていかれた日だった。どうせ一匹二匹だろうと手で潰して回っていたら、あっという間に数が増えてしまったのだ。
 私は視覚や聴覚が過敏で、目の前で何かがチラチラした動きをしていると恐ろしく落ち着かなくなる。当然コバエが視界を横切るのも嫌で嫌で、集中力をごっそり削がれた。紆余曲折を経て、会社の同僚のすすめでTwitterでよく見る麺つゆの罠をかけて駆逐。なんとかなってよかった。しかしとれすぎてつゆの中がおぞましいことになっていた……。
 そんなアクシデントもありつつ、仕事はいつも通りせっせとこなした。上司からの評価面談があり、私の予想を大幅に上回る良い評価をもらえたので素直に嬉しい。前回、半年前の評価のときはあまりピンとこなかったが、今回は「このまま頑張ろう」と思えた。
 今の会社で社員になって一年経つ。かなり奇妙な仕事で、考えることが多すぎて毎日頭が痛いし、下手すると専業ライターだった頃よりものを書いているので肩こりもひどい。でも、ここにきてようやく「ああ、私がこの会社でやるべき仕事というのはこれなのかな」と思うものが見えてきた。半年前には思ってもみなかったような世の流れの中で、私のこの変な経歴や興味の範囲、技能がそのまま活かせるかもしれない。上司もそう考えてくれているみたいなので、会社仕事についてはしばらくこの方向性でやっていこうと思っている。
 なおその領域は完全に欧米が牽引しており、日本はまだ圧倒的に後進の域にいる。読むべき資料や聞くべきセミナー、発言に注目すべき識者などほとんど英語圏に属しているので、いよいよ英語ができないなどとは言っていられず焦りもなくはない。
 それでも、会社仕事とは別で書いているものも進めたいし、何より結婚という一大事もある。今は焦らず牛歩で進む。

 ところでTwitterに「しっかりした長文が書ける若手ライターがいないって言う人は多いけども…」みたいなことを書いたら妙にたくさん読まれた件について。
 個人的な感覚で言えば、「書ける」人はたしかに減っていると思う。といいうか、コンテンツに対して適切なメタ的視点を持っているライターが減少傾向にあるように見える(とはいえ、見えるだけで実際どうなのかはわからない。それにもしかしたら、メタ視点なんていらないという社会に突入するのかもしれないし)。
 かわりに目につくのは、「自分の目に見えたもの、感じたことを自分の書ける範囲で書いてわかってもらいたい」というタイプの文章だ。もちろん、趣味のエッセイならそれでいい。何も気にせず楽しく気持ちよく書けばいいと思う。ただ、それではダメだという場合もライターの仕事には多々ある。たとえば「ムックの解説コラム用に、イージス・アショアの配備撤退の経緯について1200字以内で平易にまとめてください」と言われたら? 「遺産相続に関する典型的なトラブルと、そこから発生し得る民事裁判の種類について、この三つのマトリクスを使ってシニア向けにわかりやすく伝えてください」という注文だったら? 
 「今自分に仕事として求められているトーンとクオリティ」の目星がつかないのであれば、やはりそれはライターとしてのスキル不足だろう。
 メディア側の責任も問いたいが、趣味の範囲を超えて創作と自分ごと以外の何かを書くつもりの人間は、とにかく当たり前のことを地道にやっていくしかないのだということも言っていきたい。超天才でない限りは書く量の十倍以上読んでいないと筆力の限界がくるし、人の話をきちんと最後まで聞く態度を持っていないと取材なんてできないし、興味の持てないテーマや専門的な領域についてもある程度は勉強して理解する意欲を持っていないと仕事が深まらないし広がらない。
 と、もうライター仕事をろくにやっていない私が言ってもしょうがないのだが、無関係とも言えない状態なのでどうしてもいろいろ考えてしまうのだった。

読んでくださりありがとうございました。「これからも頑張れよ。そして何か書けよ」と思っていただけましたら嬉しいです。応援として頂いたサポートは、一円も無駄にせず使わせていただきます。