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「信じる」とは何か

どうも!みきやです!

朝晩は完全に秋の涼しさになってきましたね。
半パンではいられません。

今回は少し話題になっている
芦田愛菜さんの「信じること」についての
考え方について掘り下げていこうと思います。

芦田さんはまだ16歳の高校生ながら、
哲学的な考えを持って発言をされました。

「『その人のことを信じようと思います』
っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、
その人自身を信じているのではなくて、
『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、
別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、
『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。
だからこそ人は『信じる』って口に出して、
不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

16歳とは思えない考え方です。

私自身も人を信じて、裏切られたと感じる時は、
自分の中で「この人はこういう人だ」という自分の理想像と願望を当てはめていた時です。

前の彼女にフラれた時は、
ずっと「裏切られた」と言っていました(笑)

いい意味で人に期待しなければ、
裏切られたと感じることはありません。

違った性格が垣間見えた時に、
「自分の知らない1面を見たんだな」
という考えになれば、受け入れることが
できそうです。

その上で、
その人を受け止め、揺るがない自分で
あることができれば、
「信じる」ことになるのだと思います。

人との関わりなしに人生は歩めません。

だからこそ
こういった考えであり続けることができれば、
終わりのない争いは少なくなるのではと考えています。

では今日はここまでです!

次回の投稿もお楽しみに!

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