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「東京、ファサード」

創作

「東京、ファサード」


 去年の十二月、あなたにまた会ったね。

 私たちが東京で別れたちょうど4年ぶりに。


十六歳のときから知っていたあなたは、
姉と似てうらやましいほどに
つやのある髪をしていた。
染めたり巻いたりするのが惜しいほど
きれいだった。
けれど、あの夜のあなたは肩にかかるくらいの髪をしていた。むかし、見せてもらった幼いころの写真とおなじだった。律儀に肩の辺りで切り揃えた髪をしたあなたは私のわからない韓国語をまくしたてていた。

私にいきどおっていた。

それだけがわかった。

私はあなたの丸首のシャツが隠さない鎖骨の陰りに見入っていた。

あなたはものすごく怒っていた。
両耳のピアスは語気の強まりとともに激しく揺れた。
韓国語の唇の破裂音や語尾の感じが私を焦らせた。

韓国語は分からなかった。 


私は分からなくてはいけなかった。

私が韓国語を解さないことを、あなたはようやく感づいたようだった。

あなたの日本語は私に針のように喉元に突き付けられるように尖っていた。言葉が出なかった

どうして由依は話さないの?

真剣に日本語であなたが聞いた。

あなたは私が韓国語を話そうとしないことがずっと不満だった。

話せないの。頑張ったけど、無理だった。

私が韓国語を理解しないことを傷ついているようだった。



あなたは「朝鮮語」という語につよいこだわりがあった。

あなたは「朝鮮語」を許さなかった。
私はその怒りに触れた。

それきりになったあなたは私に会った二ヶ月後には、もう会えなくなってしまった。

あなたの怒りと死によってハングルを見ると涙が止まらなくなるようになった。

私が韓国語に触れることは無くなった。


(ごめんね、ユヒ)

(怒らないで)

(ほんと、ごめん)


私は一浪して東京の片田舎の多摩の大学に入って韓国語を専攻した。学科の名前は朝鮮語専攻。語学やゼミで使うような小さな教室。光が差し込む古い講義棟の二階の端でみんなで朝鮮語、と呼ばれる言語を勉強した。みんなその言葉を「朝鮮語」と呼んだ。その学科は戦前から、北と南にわかれる前からある学科で朝鮮半島の言葉として「朝鮮語」という名称を使っていた。

私はあなたと話すとき、間違っても「朝鮮語」と言わないように常に気をつけていた。あなたは韓国語を朝鮮語と言われるのを嫌った。でも私にとっては韓国人のあなたと話すために学び始めた言語だから、それは最初から「韓国語」だった。


ヨーロッパでファサードという言葉は

建物だけでなく、人にも使われるの。

他人に見せている、それぞれの原則と習慣によって形の

決まった、世の中に向けている建物の前面のような、態度や性格の全体のアウトラインのこと。


思い出す。

二〇二二年十二月の東京を。

高田馬場で初めて一緒にご飯を食べた夜。

そこで私たちは

「日本人ですか?」と声をかけられた。

私はシカトした。ふたりとも聞こえていたのに無視した。

「在日韓国人」のあなたはなんと答えたのだろう。私の大好きなあなたならなんて答えるのだろう。結局、あれは有名な外国人向けの日本語を教えるボランティアの誘いだったわ。あなたなら、きっとうまくやれたでしょう。私よりも日本語が上手だから、って冗談もいつも言っていた。


私たちはイタリアンに入った。高校卒業ぶりなのに、心なしかあなたは不機嫌に見えた。

私たちは料理が届くまで近況を話し合った。

そして、あなたは私の不意に漏れ出た「朝鮮語」を許さなかった。

あなたは怒涛の勢いで私を罵った。
私は必死に謝った。
学校での名称がそうなのだから、そう呼ぶのが慣れているのだ、と。
しかし、私は知っていた。それを避けられた。
あなたはそう言いたかったようだった。

料理が来る。パスタの量はふつうの一・五人前くらいあって、ふたりとも無言で食べた。お互いあてつけのようにぐるぐる、ぐるぐるパスタを巻いては口に運んだ。

このパスタ多くない

と、冗談で言える雰囲気では無かった。

会計はあなたが払った。もう円は使う機会も無いからとはっきり言った。それは当てつけだった。私たちは高田馬場のロータリーをぐるぐる歩いた。ただ無言で歩いた。



高校のとき、私たちはずいぶん一緒に行動していた。由依と由煕、名前が似ていること。周りから見れば過度だったかもしれないほどあなたを触った。それは友情の範疇だったか、今の私にも分からない。

あなたはよく「かんがく」時代の友達の話をしてくれた。韓国学校もそう新宿にあった。あなたは新宿に住んでいて私は三鷹に住んでいた。かんがくの友達と韓国語で話すとき、とても楽しそうで、私はそれが苦しかった。

あなたが、大学は韓国に帰るから、と言ったときもすごくショックだった。その夜、私は泣いた。そのときすでにあなたには言わなかったけれど朝鮮語専攻のある大学を受けようと思っていたから。

あなたは「帰る」のだと言ったの。それがすごくきつかった。でもそれは当然のことでもあった。あなたの一面しか知らなかった。あなたには帰る場所が他にあるのだということが、ただその事実だけが実感もなく宙を浮かんでいた。



0

もう一度あなたが夢に現れてくれたら、

それさえしてくれたら、あなたの手を握るのに。あなたに

言うのに。ユヒあのねって。


私は声に出してみるわ。語りかけるべき、語りかけうる言葉が見つからないけど。

韓国語でも朝鮮語でもない言葉で。

あなたのことを呼びたい、



ハンガン(斎藤真理子 訳)「京都、ファサード」のオマージュ

内容においては李良枝「由煕(ユヒ)」をオマージュした

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