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全ては自分の解釈だった。

休職し始めて1ヶ月。色々と考える時間ができたことで、長年わだかまっていた母との関係が雪解けを迎えた。

私はこれまで、母に愛されてなかった。と思い込んできた。
厳しい母に、全てが完璧でないと認めてもらえなかった。だから自分は何一つ手を抜くことなく必死で頑張ってきた。と。
国語も算数も理科も社会も、図工も体育も音楽も。オールAじゃないとダメだったんだ。と。

それを大人になってからも思っていたし、恋人を紹介するときも「母が気に食わなかったから、反対してきたから、別れることになった」と母のせいにしてきた。

そんなあれこれが積み重なって、ここ10年以上も、顔を合わせても目を合わさないような、そういうギクシャクした母娘関係になっていたのだ。

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このマガジンは、この時にしか書けない言葉が詰まっています。休職中の私の本当の気持ちの言葉たちです。

適応障害になり、休職していたとき。下書きにしていたままのnoteを5本だけ公開します。その時の気持ちのままに、誰に見せるでもなく書いていた…