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【Day 4】 神のようなあなたへ


今日は、『伝える』ことに、一段と苦戦しそうな予感。

だけど、細くて超極細い、ひとすじの光を希望に、書く!



わたしが、noteに文章を書き始めたのは、昨年の9月だ。思い返せば、このころは、表現したいという衝動があり、それを『かたち』にできるよろこびを少しずつ知りながら、同時に、書くことが、いちいち苦しかったように思う。


これを書いたらどう思われるのか?書いたことによりどうなるのか?を、ものすごく気にしていた。いいね!と言われたら嬉しいような気持ちになるけど、そうじゃないときは、落ち込むという。

後ろめたさがあったのだと思う。自分自身を否定する気持ちが、どこかに強くあったから。そんな自分から湧き出てくる言葉や表現なので、常に見張り、ジャッジしていないと不安だった。自分から湧いてきた想いには変わりなかったけど、人と照らし合わせてどうなのかを、いちいちチェックしていた。

誰かに理解されなきゃダメ、認められなきゃダメ、という想いがあり、人の反応によって、よろこんだり、不安になったり、自分を責めたりすることが多かった。


いま、そういう気持ちがまったくないかというと、そんなことは、ない。不安になったり、わたしは正しい道を進んでるのか?とか、考えてしまったり、する。だけど、その度に、自分の望みは何かを、問い直す。そうやって、すべてを引き受けて進むのだという、覚悟と安心感は、ある。


理解されたい、認められたい、という想いは、より純粋な自分で人と繋がるというところまで降りてきたとき、生きる希望になるのかもしれない。


それから、人は、自分以外には決してなり得ないし、逆にいうと、『自分である』ことを軸にして、何にでもなり得るのだという気が、いまはしている。



ここからが、今日の本題だ。


わたしが始めた、この30日間の取り組みが、どういう『実験』なのか、ということを、書きたいと思う。

これもまた、とても感覚的なことであり、『わからない』のど真ん中を突き抜けていてどう表現したらいいのやら、ということを、かたちにする。そういう意味でも、これは、『実験』だ。


結論。

わたしがやりたいことは、

『イメージ・意図』×『楽しむこと』×『感覚・リズム』が、重なり合ったとき、何が起こるのか?!つまり、自分にどういう変化があり、どういう現実を創り出せるのかを、知りたい、ということだ。

別の言葉に置き換えると、『これをやってみたいなぁ!こうだったらいいなぁ!』という意図に、『自由に表現することを最高に楽しむ』過程と、『すでに最高である自分(という肉体)』をかけあわせて、意識を集中させたときに、いったい何が起きるのだろう?ということ。

実現してみたいイメージや意図はありつつも、あくまでも、『楽しむ過程』と、『自分の感覚、からだ』にフォーカスしたとき、結果としてどういう現実が起こるのか?ということを、知りたい。


それを、あえて実験してみたくなった背景に、『"時間"はただの概念』ということが、感覚としてとても強くなってきたからということが、ある。

以前から、『時間が流れているのではなく、いまこの瞬間の連続なだけ』『時間は未来から過去に向かっている』みたいなことを聞いたりしていて、なんとなくそういう気がしたり、『時間』というものを疑ってみたりはしていたけど、いまいち、自分の感覚としては、腑におちていなかった。

それが、最近になって、気づきのような感覚を先に得たことで、もしかしたら本当にそうかもなぁ!と、思い始めてきた。

きっかけはよくわからず、気づいたら、そう感じていた。


どんな気づきかというと、まずひとつ、いまこのとき、わたしは時間に対してこういう感覚をもっているけど、他人様がどういう感覚をもっているかは、どうしたってわかりっこないよなぁ、と心底感じたということ。あなたの1秒とわたしの1秒は、等しいのか?もしかしたら、わたしの1時間は、あなたにとって100秒ならまだしも、100kmだったりして?とか。そうして、わたしたちは、ただ、『概念』の中を生きてるだけなのだろう、ということ。時計の針は、ある角度から見た太陽様の動きに従ってるものでしかない、ということ。

それから、どんなときも、たとえば不快だったり自分を責めて消えたかったりするときも、何もしてなくて時間を無駄にしているように感じるときも、そのときの自分の状態に集中することで、すべての『時間』を、愛おしいと感じ始めたこと。それによって、『いま』への意識が高まり、一瞬一瞬が、濃くなった。そして、未来や過去への執着意識が、薄くなってきていることに気づいた。


『30日間』という時間で、どういうことが起こり得るかということを、これまでのわたしは、なんとなく想像することができた気がする。いままでこうだったから、とか、一般的にはこう思われているから、こういう因果関係でこうなるだろう、という思考を前提に、そのイメージを描いていた気がする。どんなに自分が『自由だ』と思えたとしても、だ。

だけど、『時間』という感覚が薄れてきたことにより、これは、いよいよ、何がどうなるかわからないし、暦上で1ヶ月経ったときに、いままで想像してたところを超えることが起こりえるんじゃないか?て、なんだか思い始めた。


ひとことで言うと、『可能性』ということになるのかな。


それに対してのわたしの好奇心を、ただ満たしたいという、実験。それをやるのに、わたしの『挑戦』が、いい材料になる気がした。

なんとも謎で不思議な実験だが、わたしは、これがやりたい。わたしは、結果を目指すということに、あまりパッションを感じないのかもしれない。挑戦したいのだけど、『絶対にこうなりたい』という結果を目指しているのかというと、なんか違う。そんなことを考えてるうちに、なんとなくだけど、『意図』×『最高に楽しむプロセス』×『最高である自分』は、『無敵』かもしれない、と、思ったから、この実験をやってみたいと思いました。

何の意味があるのか、自分でもよくわからない。でも、ふわふわした浮遊物みたいなわたしだからできる実験じゃないか?とも、思ったりするのです。 


なんだか、全然うまく説明できた気がしない。でも、とにもかくにも、投稿してみよう!



すでに『THE BOOK』というものを始めているけど、挑戦の中に実験があって、実験の中に挑戦がある。ここまで書いて、そんなことに興味があるのは、自分だけだろう、もはやこの先は誰も読んでくれまい、と、落ち込みそうになっている。

そんな自分が、これからどういう行動をとるのか、それから、自分を含めて、すべてのことがどう変化するのかを、楽しみにしている。


・・・と、ここまで読んでくださった神のような方。本当にありがとうございます!明日からも読んでくださるかは、個人に与えられた自由でしかないのですが、願わくば、一人でも読んでくださる方がいますように・・・!!!


🔥挑戦中🔥


🌊実験中🌊


🌸YouTube🌸


あなたという神と、わたしという神へ、ありがとう♡