奇跡は続いている

3月14日。

父に会いに行った。


その2日前のこと。

わたしは、お金のことで、決断をしなければいけなかった。

もうすぐ、一つのカードの支払期限がくる。
手元にあるお金だと、あと3千円足りない。

携帯は、まだ復活していない。
ある理由で、今回の請求は特に高額なので、その金額を準備することができないまま、支払いが先送りになっている。


まずは、このカードの支払いをしよう。
もうこれが最終期限だし、いずれにしろ携帯の方は、まだ全然足りてない。


でも、3千円。

どうする・・・?


もう、やることは、やってきた。

あとは・・・


そのとき、ふと、父の顔が過ぎった。



ついこのあいだ、わたしは、ひとりで、犬養木堂記念館を訪れた。

中に入ったのは、たぶん初めてだ。
家から歩いて20分の近さで、入館無料なのに、なぜか今まで行かなかった。

でも、いまこのときになって。
吸い寄せられるかのように、行かなければならない気がした。

記念館とならんで、木堂の生家がある。

経済的にも環境的にも差し迫った状況で、かつ病み上がりのわたしに、木堂がのこした庭と言葉は優しかった。


本来無一物
亦塵の払うべき無し


と。


そこで、晩年の犬養毅の顔を写真で見たとき、わたしのお父さんにそっくりじゃないか、と思った。



父は、岡山市内の父の実家に住んでいる。

両親は、もう生きていない。

わたしが岡山に戻ってきてからのここ数年、何度か家まで会いに行こうかと思ったけれど、行動にはうつさなかった。

一人で行ったことがないから、道も場所も、はっきりとわからず、イメージだけで遠いような気がしていた。
それに、いつも散らかってる家だったから、これまで、積極的に行く気にとてもならなかった。


だけど、いま。

なぜか、父のことが頭に浮かんだ。



行ってみようかな。



・・・本当に?


これまで、どんなにピンチな時でも、父の家に会いに行く選択はなかった。

遠くて汚いというイメージだけじゃなかったかもしれない。

申し訳なさか、後ろめたさか。
触れないでおこうとする何か。


それに、父も、わたしが数年前に借金の相談をしてから、たくさんのお金を支援してくれている。

そして、いま、お金にすごく余裕があるわけでもないだろう。

なのに、わたしは、またお願いに行くのか?


・・・でも。

それもすべて、わたしが頭で勝手に決めてることだよな。


本当は、いま、誰かの力を借りたい。

頼りたい。

少しでも、可能性があるのなら。


もし行くとしても、まず、家にたどりつけるかどうかわからない。
それに、ついたとして、そこに父がいるかも謎だ。

いても、会って話ができるか?
2年前くらいから、父は電話に出なくなった。

話せたところで、もうお金は難しいかもしれない。

だけど、それでも、いまここで諦めるよりいいじゃないか。


それは、きっと、わたしの欲の深さでもある。


そして、きっと。

わたしのどこかに、父に会いたい想いがあるからだ。


わたしは、わたしの”望み”を生きる。

そう決めたんだ。



お父さんに会いに行こう。



でも、やっぱり怖いな。

見ることも。
知ることも。

何より、あの汚い家の中に足を踏み入れることが、実は、一番おそろしい。


・・・そうだ!

お花を一輪買っていこう!

そのお花を父にわたすことを想えば。
道中で不安になったり、もしどこかでダメになって落ち込んだとしても、きっと、わたしは、希望を見失わないでいられる。


お金を貰いに行くのに、お花を持ってくなんて、なんだかおかしいよな。

お父さんに贈り物した記憶だって、ないじゃないか。


でも、いいんだ。
わたしが嬉しいから。

それに、もうすぐ父の誕生日だ。


行ってどうなるかは、わからない。

でも、”望み”はここにある。


お金も。
お花も。


わたしにとっては同じ。


”希望”なんだ。



そして、次の日。

わたしは、最近見つけたばかりのお花屋さんへと向かった。

お店に入ると、思ってたよりもたくさんのお花たちがいた。
ガーベラだけでも、十何種類とある。

わたしは、この中からひとつ選ぶなんてどうしよう!と、気絶しそうになりながらも、どうにか無事に、最高の相棒をゲットすることができた。

可愛い。

つい、お花に話しかけてしまう。

そして、その足でネットカフェへ。
うる覚えだった本籍地の住所を、Google Mapで検索してみる。
山と川にはさまれてる特徴ある場所だから、地図を見てすぐに、ここだ!ってわかった。


よし、この距離なら何とか行ける!

あとは、やるのみだ。


当初は、この日のうちに父の家に行くつもりでいた。
でも、noteを書くのに思ったより時間がかかったから、結局、次の日まで待つことにした。

暗くなる道を家までもどり、いつもより早く寝床につく。


たった一夜だけど、太陽みたいな相棒と一緒に過ごせることが、ものすごく嬉しかった。




翌朝、目が覚める。

不安もあるけど、それよりもワクワクしている。

お花に水を少し吸わせてから。


さぁ、行こう。

電車もつかえるけど、どうせ1時間くらいしか変わらないからと、歩いて向かうことにした。

片道3時間半くらい?
いや、普通歩かないだろ!て感じだけど。
最近は、一日に2万歩くらい歩くのは日常で、足には自信があった。


でも、いざ出発してみたら。
”歩いても行けるじゃん!”ていう距離は、”歩いたら遠い”っていうのを、あらためて知った。


それでも、一歩、一歩と、目標の場所は、だんだんと近づいてきて。


ついに・・・!


お花を片手に、地図を見ながらというのもあってか、家の前に着いたときには、4時間近く経っていた。


すごいね!
本当に来ちゃった!

疲れたなぁ。
でも、楽しかった。


それに・・・よくやったね!


わたしだけじゃない。


このお花にとっても、長旅なんだよな。

手元に目をやると、ところどころ、花びらがいたんでしまっていた。


どうか、このお花を無事に手渡せますように。



意を決して、家の門を開ける。

その外見は、思ってたよりも小さくて、可愛くて、庭には緑が生い茂っていて、まるでトトロの世界みたい。

ここに父は居るのだろうか。


ピンポーーーン。
玄関の呼び鈴を押す。

シーーーン。
誰も出ない。


コン、コン。
少し大きめにノックする。

反応なし。


仕方ない。

えいっ!と、ドアノブを回したら、普通にするっと開いた。


入口のところから、声をかける。

一切、応答なし。


念のため、庭に回って、縁側のガラス戸越しに家の中を確認する。

・・・汚い。


でも、一応、人が生きてるような気配はある。


よし、行こう。


再び、玄関へ。

今度は、躊躇なくドアを開ける。

入りまーす!と言って、侵入。

埃だらけで、とても靴下を履いてはあがれない。

裸足で、廊下をそろそろと歩く。

たしかに、ひどく汚れている。

でも、意外に歩けるスペースはちゃんとある。

それに、懐かしのテーブルや、裏に潜れば基地になる階段との再会には、やっぱり胸躍る。

ひとつ、ひとつと、部屋を見てまわる。


万が一、父が死体になっていたらどうしよう。
それよりも、ゾンビのように眠ってたほうが怖いか。

どうも、明るい想像ができない。


いずれにせよ、姿が見当たらない。

でも、なんだろう。
かすかに、ラジオの音みたいなのが聞こえる。

その音をたよりに、2階へ上がる。


上階は、下界より、お化け屋敷感が増している。


そして、ある一室の前に来たとき。


ん?
ここか・・・!?


耳を澄ます。


・・・

間違いない。

この部屋だ。


よし。

ここまで来たら、後にはもどれない。

ゆるせ、父よ・・・!


コン、コン。

お父さん、美樹です。

開けるよ~。


ガチャ。


お?

お~!?
美樹か!

久しぶりじゃのう!
元気にしょうるんかぁ~?


そこに、いた。


コタツに入って煙草を吸いながら、ボサボサの頭で、大好きな囲碁の対戦をPC画面で見ているらしき、父が。

そして、振り返って、満面の笑みで、わたしに向かってそう言ったのだ。



て、おいっ!

わが父よ。

マイペースかよ!

のんきかよーーー!

普通、もっと驚いたりするじゃん!?


あぁ、そうだ。

これがわたしの父さんだったわ。

何を考えすぎてたんだろう、わたしは。


でも、本当に怖かったんだよ。
ついさっきまでは。


てか。

木堂さんに全然似てねーし!

思い出したよ!
警察官の仕事辞めてから、太って二十顎なんだったわ。

いや、たしか、20年前くらいの父なら似てたような・・・!


はぁあ。


あまりにも、そのまますぎる父に。

わたしは、すっかり力が抜けてしまった。


聞けば、家の電話は1階にあって遠すぎるから、鳴っても出られないらしい。

なんじゃそりゃ。


それから、わたしが、来た事情を話すと、父は、まったく遮らずに話を聞いてくれた。

一見ふざけたようにも見える父だけど、その場を明るくしようとおどけたりはしない。


そして、それくらいなら今あるぞと、お金を出して渡してくれた。


わたしは、代わりに、手に持っていたものを差し出す。


鮮やかなオレンジ色のガーベラ。


この汚い部屋の一体どこに飾るんだろうか。
そこまでは、考えてなかった。

誕生日までもつかわからないな。


でもとにかく、このお花も、父も、わたしも、生きる。


生きている。


ただ、それだけだ。



どうしようもないところだらけな、どうしようもなくまっすぐな父に、今まで、どれだけ救われてきたのだろう。




帰り道。

父が少し多めにお金をくれたから、カフェに寄ってコーヒーを飲んだ。


すっっごく美味しかった。


疲れ果ててたのもたしかにあるけど、こんなにボーっとしながらコーヒー飲んだことなんて、あったっけな。


そしてまた、いま、これを書くことができている。



奇跡。



”明日どうなるかわからない”

それは、すべての生命におなじだ。


自分だけじゃない。


だから、”いきる”ことができる。


どの道を選んだっていいんだよ。

正しいかどうかなんて、誰が決める?


その先で、たとえ、何かが終わったとしても。


今を生きるかぎり。


最後の瞬間まで、ひとつ、ひとつと、奇跡は続いていく。





あなたという神と、わたしという神へ、ありがとう♡