地元を大事にせねばだめなんだよねー

大沼公園インターをおりて函館に向かう途中の国道沿いにある、レストランケルン。

オーナーの久保田一佳(かずよし)さん(69歳)にお話を伺ってきました。

牛の牧場で生まれ育った久保田さんは、函館工業高校を出て、茨城の金属会社に就職します。3年働き、将来についていろいろ考えていた時。ふと入った北海道郷土料理のお店で衝撃が走ります。「なんておいしいんだ!俺も和食をきわめたい!」

北海道に戻り、調理学校に入学しようとしても資金がない。そこで、ご自身の車をお兄さんに50万円で売って、そのお金で調理学校に入学。朝早くから精肉店、その後飲食店をはしごして夜遅くまで働き、生活費と学費を稼ぎました。独立してからも、この時の経験が活かされたと話します。「すべてつながっているんだよね。無駄なことなんてないんだよね」

卒業後、札幌の飲食店で修行を積み、29歳で道南に戻ります。お兄さんが家業の牧場を継いでいたので、お兄さんが育てた肉牛を使ったレストランをオープン。ホールはお母さんが担当。お母さんは最初オーダーとる時、手が震えて伝票が書けなかったそうです。「それまで牧場で牛の世話しかしてこなかったのに、突然レストランのホールだもの。緊張して、伝票が書けなくて。それをみかねたお客さんが伝票書いてくれてましたよ(笑)」今から30年以上も前。その頃はドライブインしかない時代。ステーキ、ハンバーグなどの洋食は、地元の人たちに受け入れられず。1日あたりの売上が少なく、営業時間を夜にシフトしたり。表では洋食出していたけど、裏では宴会対応したり、どんぶりとかいろんなメニュー出していたそうです。それでも続けていくうちに、なかなか受け入れてもらえなかったステーキなどのオーダーが増えてきました。

コロナで売上が落ち込んだ時、こんなエピソードがあった、と静かに話してくれました。「コロナは、がくっと客数が落ちたよね。そんな時、50代くらいの女性とそのお母さんが来てくれて。コロナで大変だろうからって、手紙と3万円を渡してくれて。」その手紙には『わたしの父がケルンさんの大ファンでした。独身の時から通っていたそうです。わたしが生まれてからも、よく食べに連れてきてくれました。父は他界したのですが、このような状況ですが、お店は続けてほしいです。母が寄付文化に否定的なので、このことは内密にお願いします。』そして、手紙の最後には『ケルン、大好きです』の文字が。「このお金は使えないから、神棚に飾ってるんです」

地産地消という言葉がまだ浸透してなかった時代から、素材は地元のものにこだわってきました。「このあたりなんて、地元のドライブインしかなかったから。なかなか地元に受け入れてもらえなかったよ。それでも、町内会入って、地域に入って。少しずつ認められて。この前、森町から功労賞の表彰してもらったさ。周りは90歳の人たちばっかりで、俺、最年少!笑。やっぱりさ。地元に入って、地元のもの使って、地元が栄えることが大事だと思うんだよね」

「残さず、食べる、って大事だよね。わたしの立場だったら、残さないような料理つくらなきゃ、と思います。やっぱりさ。お客さんが帰ったあと、何か残っていたら、何がよくなかったのかなぁと思うし。きれいに食べてくれると嬉しいんだよね。」「小さい頃、おばあちゃんの家に遊びに行くと、ご飯粒を一粒とか残そうものなら、『かず。このお米一粒を買うのに、お父さんお母さんがどんだけがんばっているか。粗末にしたらバチがあたるよ』って育てられたからね。今レストランをやっていて、生産者がいるわけだけだから、大事にしなきゃって思います。生産者の思いをくんで、つくってあげなきゃって。牛もさ、キレイに食べることは成仏させることなんだよね。野菜だって生きているからね。キレイに食べることが成仏させるってことなんだよね」

今は、娘さんのご主人が一緒にお店を切り盛りしてくれているそうです。「ポリープができて、入院するために、お店休まなきゃならないから、従業員のお給料とか準備していたんだけど。この前病院に行ったら、ポリープ消えているって(笑)。浮いたお金使って冷蔵庫買って、息子と加工品つくろうと思っているさ(笑)」

開店前の厨房には、オープン間も無くから30年以上一緒に働いている方、3歳くらいのお孫さんもいて。なんともアットホームは雰囲気で。こういうところも、ケルンさんの魅力なんだなぁとほっこりした気持ちになりました。

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