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笑う女 ・・成人期編・・

おはようございます。美人眉クリエイター大平美樹です。

東京は良いお天気!洗濯も終わりMacBook Airに向かっております。


<昨日のまでのあらすじ>

世田谷の「森の中」に住んでいた私は、当時珍しかった「クウォーター」だった為、周りから目立つ存在。でも本当はちーちゃんとふーちゃんと林先生のお絵描き教室に行くのが大好きなこの静かな子供だった。目立つ事を極端に嫌った私は対抗手段として「笑わない」ように。でもそれが逆効果で更に目立ってしまう結果。高校時代は「みんながやっているから」という理由で聖子ちゃんカットにしたり、みんなの真似をする事で「その他大勢」に紛れ込もうとしたが・・


何にもないところに「黒」の点があっても目立たないけれど、「白」の集団の中にポツンと「黒」の点があると物凄く目立つ・・そんな事も分からずに私は「みんなと同じ」にこだわっていました。同じ髪型、同じ服装。高校時代は「ハマトラ」が大流行で、制服のように巻きスカート、MIHAMAの靴・・決してみんなと同じではなく目立ってしまうけれど「みんなと同じ事をしている」感覚が心地よくて、安心出来ました。

高校卒業後、シュウウエムラのメイクスクールに通い出した私は同性の中に紛れる方法を取得し(紛れ込めていなかったけど、そう思っていた)落ち着いたところ、次の恐怖はズバリ「男性の視線」でした。

派手で男遊びがお盛ん・・そうみられる事がとっても嫌で、また私は笑わなくなりました。笑わない私に「あれ?怒ってるの?」と言われる事が多くなり「美樹はいつも怒ってる」いつしか周りはそんな風に私を見ていました。もちろん怒ってないですよ!でもそう言われているうちに何となく「怒っている」気分になって来たのは事実です。

笑わない私はメイクスクール卒業後シュウウエムラ化粧品に入社して、現場スタッフへのメイク講師として活動していました。笑わない私は周りから「怖い美樹先生」と恐れられ、私に逆らうスタッフはいませんでした。

みんなに混ざりたくて笑わなくしていたのに、そんな私が孤立していく・・矛盾してますよね。

「女とクリスマスケーキは25過ぎたら値が下がる」そう言われた時代、私は25歳で最初の結婚をしました。そう!みなさんがお考えの通り結婚した理由は「周りが結婚したから」。サイテーですね、結婚は潰しがきくとも思っていましたから私。そりゃうまくいきません。(結婚の話はまた改めて)

息子は授かりましたが、結婚生活は破綻し37歳でシングルマザーになり(書類上、正式に離婚が成立したのがその5年後です)笑わない私は生きていく為、シュウウエムラでのキャリアを捨て独学で開発言語を学び金融系システムエンジニアになっていました。

「負けてはいられない」「一人で息子を育て上げるんだ」馬車馬のように働き、更に笑わなくなりました。いやもはや「笑う事は無駄、意味がない」だと思い込み、私は「いつも怒っていてイライラして怖い人」になって行きました。。。

明日につづく





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