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笑う女 ・・幼少期編・・

こんにちわ、美人眉クリエイター大平美樹です。

東京の空は穏やかに晴れています。気持ちいいですね。


今でこそSNSなどで「大平美樹の代名詞は笑顔」と嬉しいお言葉をかけて頂きますが、実はこんな風に自然に笑えるようになったのは3年くらい前から「訓練」をしていたからなんです。

やろうと思えば誰でも出来る笑顔・・私はなかなか出来ませんでした。


遡る事54年・・(のぼりすぎだっ)私は本当におとなしい子供で、幼稚園に入る頃からお隣に住んでいた姉妹「ちーちゃん」(姉)「ふーちゃん」(妹)と3人で画家の先生に絵を習いに行っていました。絵を習うと言うより当時は「お絵描き教室」と呼んでいて、林先生(画家)は私達に自由に絵を描かせてくれました。そのお絵描き教室が楽しくて楽しくて・・

私は父方のおじいちゃんがロシア人のクウォーターです。住んでいたのは世田谷でしたが、今から50年くらい昔の世田谷なんでものすごーく田舎で、多摩川が近くにあり木が鬱蒼と繁っていて、当時私は「森の中に住んでいる」と思っていました。そんな「森の中」で「あの子クウォーターなんだって」とオトナたちが噂して、私は自分の意図と反し、幼稚園で目立つ存在でした。好きなお描き教室にもいけない、みんなが珍しがって私を見ている・・幼稚園に行く事が嫌・・それだけでなく「人に見られるのが嫌」になっていきました。

目立ちたくない。見ないで欲しい。

小学校に入ってから好奇の目は更に増えて行き・・しかも母方の叔父が東宝映画砧スタジオでカメラマンをやっていた関係で、「テレビに出ない?」と叔父は私に猛アタックをしてくるようになりました。

テレビなんで出たら最悪・・いじめられる。

目立つ事、見られる事が大嫌いになっていた私は、どんなに勧められても首を縦には振りませんでした。そんな子供ながらに対抗手段として無意識にやっていた事、それは「笑わない」事でした。

とにかく笑わない。下を向く。いつも伏せ目がち。それも徹底的に。

が!悲しいかな逆に目立ってしますんですよね。笑わない方が、子供は。

どんなに笑わないで下を向いていても「あの子ってクウォーターなんだってよ」「クウォーターって何?」「外人の血が入ってるんだって」「えー!うそー」「だから目が大きいの?」「なんか生意気」などなど・・クラスメイトの声が聞こえてきます。

あーもうやだ。こんな顔大嫌い。

私はちーちゃんとふーちゃんと林先生のところでお絵描きしたいだけなのに。静かにしていたいのに。

どんどん成長するにつれて「自分の顔が嫌い」はエスカレートするばかり。そのうち「顔」だけではなく「自分自身」も嫌いになって行きました。

なんで私はみんなと違うの?同じがいいのに。

中学生になった頃には、叔父は根負けして私を誘わなくなりました。ほっとしたのも束の間、今度は周りのオトナ達、学校の先輩達の視線が怖くなりました。

・・なんかここまで書いているのを読み返したら、自慢してるみたいにも見えますよね。。私は可愛いとかではなく、ただ目鼻が目立つ顔つきのクウォーターだっただけです。学生時代は全くモテなかったし(笑わない女は無理だよね)当時は薬師丸ひろ子が大流行りの「童顔」時代!!私とは真逆の女の子がモテまくっていました。

そんな私でも高校時代は「聖子ちゃんカット」でした!だってみんながやってるから。「みんなとおんなじ」になりたかったから。でも見事に似合いませんでしたが(爆)高校時代はみんながやってる事をただ真似ていました。良い悪いとかではなく、好きだからとではなく、ただただ「みんながやっているから」。みんなと同じ事をすることで、私は「その他大勢」の中に紛れ込もうとしました。残念ながら失敗に終わりましたが・・

明日につづく



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