見出し画像

保育園栄養士時代感じてたこと

「保育園栄養士時代感じたこと」

20代前半、保育園栄養士をしていた。
もちろん大変はあるけど、
とっても幸せな仕事だった♡

私は子どもが大好きで料理も好きだったから保育園栄養士を選んだ。
自分が作ったご飯を、子どもたちが「おいちい」と食べてくれる。
あの頃、わたしは「天職だ」と言っていたらしい。



子どもたちに会えるのがすきで、
早く給食を作り終え片付けをして、
保育室へ行くのがすきだった。
よく遊びに行ってたから、
子どもたちともたくさん関われた
連れて帰りたいと思うほどかわいかった☺️✨

200人分の給食づくりも厨房の仲間たちと
楽しく作った^^
楽しく作ると美味しい給食ができた。
(これ本当で、、!元気がない日は美味しくないものが出来あがる😳)

栄養士をする中で、
ずっと気になることがあった。
年々増えていくアレルギー児。
20%近くの子が食物アレルギーを持っていた。
なぜだろう?と不思議に思って、
たくさん勉強をして、

どんどん日本の食の事情が見えてきた。

給食で使う調味料や食材を変えたいと思った。

白砂糖、マーガリン、、牛乳、、。
野菜の栄養価の低下、

アレルギーにも様々な要因があることがわかってきた。

目の前にいるこんなかわいい子どもたち、
安全なものを食べさせたいし守りたい🔥
と自分の中で熱い想いがわいた。

幸いにも先輩栄養士も同じ想いだったので、
一緒に色々考えた✨
アレルギーの子も一緒に食べられるメニューを
考えた✨お豆腐でクリームを作りクリスマスケーキをつくったり、
仕事の後はオーガニックレストランへ勉強会に行ったり、
仲間と一緒に「よくしよう!」と考えるのは楽しかった!



給食の予算もあったり、古くからの歴史があったり、あるものを変えていくのはなかなか難しかった。

色々と挑戦はしてみたけど、
若い栄養士のチカラでは変えることは難しかった。

そして、私にも経営者を
説得させるほどの知識や
自信もなかった。

そこで、私は決意をする!!!!

「オーガニックが多く、添加物の少ないと言われるヨーロッパの人々は、どんな暮らしをしているのか見てみたい!!!」

と思った。

「よし!一年後に仕事を辞め、イタリアに留学する!!」

と決めた。

なぜこんなに迷いもなく行くと決断できるか不思議なくらい、
全く迷いがなかった。
「なぜイタリア🇮🇹?」と聞かれても明確な答えはなく

自分のなかで「ここだ!ここしかない!」みたいな感覚🔥

行くための準備をするだけだった。
◯イタリアへ行く費用を200万貯める
◯イタリアで通う学校をさがす
◯イタリアど住む家をさがす

200万貯めるために、一人暮らしを辞め実家に戻り、月の手取りのほとんどを貯めた。
ボーナスは丸々貯めた。

不必要なものは買わない!費用をためるために全集中した🔥

語学学校(学校に通っていないとビザがでない)探しをした。
日本でやっている語学学校の見学会へいき、イタリア留学を考えている人へ声をかけて連絡先を交換し、仲間をつくった。

いつもアンテナを立てていたので
沖縄旅行にいき、イタリア人家族を見つけた時も「私、来年イタリア留学へ行くんです!」と話しかけ仲良くなった。(後にめっちゃくちゃお世話になる)
 

イタリアに住む日本人の方に連絡をし
「イタリアに住む家を探しています。紹介してもらえませんか?」と突然のお願いをした😳
私のこともよく知らないはずなのに、
知人に聞いてくれたり探してくれて
家をみつけてくれた。
家主さんと金額の交渉をしたりしてくれたり、
たくさん助けてくれた😭
(のちにめちゃくちゃ助けてもらう)

外国へほとんど行ったことのない私だったので、外国へ住んだことのある友達に会い、
話をきいた。
飛行機✈️のチケットの取り方を教えてもらった!!!
(チケットの取り方もわからないほど海外初心者🔰)

一年後、
お金、学校、家、の準備は整った✨✨

保育園栄養士を辞め、イタリアへ向かうことになる。

しかし私は大事なことを忘れていた!
それは....イタリア語🇮🇹!!!
学生時代は寝ていたので英語も喋れない。

語学をまったく勉強をしていなかったのだ
🤣🤣🤣

....続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?