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産後が終わった、そして日々はつづく

 娘が2歳半になった。手が汚れれば自分で手を洗えるようになり、人形を寝かしつけ、猫とねこじゃらしで遊び、アンパンマンのキャラクターを愛す。一歳のときより野菜をあまり食べなくなり、走るのがぐんとはやくなった。

 毎日、驚くくらいに新鮮に、かわいい。毎朝、毎晩、なんてかわいい子がわが家にいるんだ、といちいち感動してしまう。その感動と、当たり前に並行に新たな悩みや課題は常に出てくる。

 娘が2歳半を過ぎ、ようやく産後が終わったような気がする。人生ではじめての妊娠、出産、産後はどれもやっぱりはじめてのことで、娘がこの世に来たこと以上に、自分の変化に随分戸惑った3年だった。肌が荒れ、髪がぱさつき、お腹の中にいるよりもずっとずっと長い時間わが子と過ごす日々がうまく想像出来なかった妊娠中。前駆陣痛がつづき、いざ産むとなると意外と痛くなかった、でもアスカが量産機を撃ち落とすシーンをずっと頭に浮かべながら産んだ夜から朝。産後ハイでめちゃくちゃ動いてしまった産後1ヶ月、輝くようにかわいい娘、何事にも自信がなくなって、必要なものはすべて誰かにやってほしくなった、人が持っているものを、わたしも持ちたくなった産後1年目、やっぱり娘はかわいいが、自分で自分の世界を狭めているような、目の前のちいさなひかりしか見えなくて、その外のことが考えられなくて、それにやきもきしていた産後2年目。

 そして、ようやく、元いた、妊娠前の世界が戻ってきた。世界は際限なく広く、わたしには頼もしい両手がある。この手でなんでも掴めそうな、そんな世界。これはこれで元気はでるが、また別の困難がある。その困難を、妊娠前とおなじようには対処できない。妊娠前よりも、ずっと使える時間は少ない。それは、事実。娘のためになにかを制限されている感覚はないが、前と同じには戻れない。戻ってきたこの世界の見え方とはまた違う見え方が必要なんだろう。それをどう掴まえたらいいか、考えている。世界はいつもここにあるが、見え方だけで変わることもある。

 世界は広く、風はいつも吹いている。ももちゃんと、娘と、猫たち、それからすべてみることは叶わない膨大な世界の姿、物語、本の中の世界。わたしは、なにを掴まえたいのか、それを最近ずっと考えている。

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