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ビックラブを胸に

 庭文庫になる、古民家と出会ったとき、なんて美しい場所にある、なんて素敵な建物だろうと胸が高鳴った。坂を登って、途中にある大きなカヤの木を見て、山があって、きらめく木曽川があって、そうして茶色のあの、建物がある。どうしてもここで、古本屋をやりたいと、物件を借りられるまでに1年かかった。そうしてオープン前、徹夜で庭文庫に泊まり込み、本の値段をつけたり、もらった箪笥の引き出しを出して本棚にしたり、縁側から川を眺めたりした。

 ずっとこの家にあるソファーに寝転んで、ここはまるでゆりかごみたいだ、とおもった。あたたかく、やさしい。死ぬまでいられるゆりかご。ここに訪れるだろう人たちが、もしももうここに来なくなったとしても、それはゆりかごを出ただけなのだから、心から歓迎しようと決めた。でも、いつでもまたここに戻ってこれる、そしてまたゆらゆらゆれて、帰っていく。そんな場所になるんだろう、と思った。

 矢沢がなにか聞かれた時に「俺はいいけど、ヤザワはどうかな」と答えるみたいに、庭文庫はわたしとももちゃんがはじめたお店でありながら、すべてわたしたちがコントロールできるとは思わなかったし、それをすることはなんだか許されていないような気がした。なにかをしようと思うたびに、「庭文庫さんは、どうかな」と考えた。もちろん、お返事はない。

 とはいえ、人間が動かないと店としては成り立たない。こんなに好きだった庭文庫のこと、宿をはじめる前後には、わたしは正直げんなりしていた。古い建物は、当たり前だけれど、古い分だけの蓄積がある。工事をして直したはずなのに、いくらでも、直すところがでてくる。漆喰を塗り、湿気を逃し、蜂の巣を駆除し、板を張り、そんなことをやっているうちに、「次、店をやるなら新築がいい」とおもった。わたしは、とても疲れていた。なんだかうまくお店に行けない時期もあった。どんなふうにわたしが庭文庫に座っていたらいいのか、わからなかった。わたしも客としてここに居たいと願ったが、そんなわけにもいかない。それでも、ももちゃんがそんな風にわたしがおもっている間、随分がんばってくれた。

 11月から、また庭文庫のことを、よく考えはじめた。娘の風邪で、実際はほとんど動くことができなかったけれど。12月に入り、娘も保育園に復帰し、久しぶりにたくさんの時間を使って庭文庫のことをしている。めちゃくちゃ楽しい。子育ては、今まで知らなかった幸福を感じるスイッチをゆるやかに押されつづけているような気分があるが、庭文庫の仕事をしているときも、その隣にある楽しいスイッチが常時押されているような感じがする。娘が寝ても、12時くらいまでは作業をする。ずっとやっていたい、とおもうが体が付いてこないので、昨日は娘と一緒に9時には寝た。

 午前中、店の片付けをしようと、娘を保育園へ送った足で庭文庫へ来て、珈琲を淹れる。一服して、書類や郵送物、ももちゃんの絵、古本なんかを整理する。わたしのいる場所だけ電気とストーブをつけて、他の部屋には外からのひかりが磨りガラス越しに畳に射し込んでいる。

 ここを、いい店に、もっといい場所にしたいし、できる、とおもった。すべてコントロールできないことと、わたしができることがあることは、全く違う話だ。この場所に、この建物が、今、建っていること。その感動みたいなものを、午前中、指がかじかむ店内で噛み締めた。すこしだけ離れていた、ここへの愛みたいなもの。やっぱり隙間風は吹くし、おそろしく寒いし、夏は虫も出るし、びっくりするくらい草が伸びる。そんなことは、関係ないと、おもえるほどのビックラブ。

 なぜ急に、こうおもえるようになったのか、よくわからない。でも、このビックラブを胸に置いていられること、それが、わたしの日々を開け放たれた広い場所へ連れて行ってくれることに、間違いはないことは、わかっている。

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